村上春樹訳の ” The Long Goodbye “。

ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー  (著), 村上 春樹 (翻訳) The_Long_Goodbye

ギムレットには早すぎる。


と言えば、もちろん1953年に刊行された米作家レイモンド・チャンドラー著書の ” The Long Goodbye “。

私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第6作目であり、

“To say goodbye is to die a little.”

(清水俊二訳)「さよならをいうのはわずかなあいだ死ぬことだ。」
(村上春樹訳)「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。」

“I suppose it’s a bit too early for a gimlet,”

(清水俊二訳)「ギムレットにはまだ早すぎるね。」
(村上春樹訳)「ギムレットを飲むには少し早すぎるね。」

などの名台詞を残したハードボイルド作品の中でも傑作中の傑作とされている。

日本では1958年に清水俊二訳の「長いお別れ」というタイトルで刊行され、その49年後の2007年にかの村上春樹訳で原文同名の ” The Long Goodbye “で刊行されたのだが、今回その村上春樹訳の分厚い ” The Long Goodbye “を5日間掛けて読了したので、いくつか気になった3つの点を書き残しておこうと思う。なお、村上春樹氏は若い頃から清水俊二訳本及び原作を擦り切れるほど読み直したとか。

まず1点目は誰しも読めば思うことだろうが、チャンドラーは登場人物の心理描写をほとんど文字にしない、その代りに表情や情景がこれでもかというくらい細かく描写されている。その為か、訳者の表現方法があまりに抽象的過ぎて考え込まされてしまうのだ。例えばマーロウが行方不明者の情報を得るために訪れる「カーン機関」という調査会社のオフィスを訪れるのだが、そのオフィスの廊下や室内の色や素材の描写だけでもこんなふうだ。「ドアの外側がフレンチ・グレー」「緋色(ひいろ)」「ブランバウィック・グリーンの壁」「プリマヴェラ材のテーブル」「グレーのリノリウムの床」などなど想像するに辞書を引かなければならない形容詞や表現が多く、丁寧に読み取ろうとするとなかなか先に進めないのだ。しかし、村上春樹氏はこういう詳細な描写の中にこそチャンドラーの真骨頂があるんだと後書きで言っている。天才は天才を知るとはまさにこのことである。

2点目も誰しも気付くかと思うのだが、村上春樹流の言い回しがたまに出てくる。例えばこんなのである。「タフなメキシコ人くらいタフな人間はまたといない、穏やかなメキシコ人ほど穏やかな人間がまたといないように、正直なメキシコ人くらい正直なメキシコ人がまたといないように、そして何よりも哀しげなメキシコ人くらいかな重な人間がまたといないように。」一体なんのこっちゃであるが、処女作「風の歌を聴け」の冒頭の一節でもあった「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望というようなものが存在しないようにね。」をより難解に煩雑にした言い回しである(笑)もちろんこの表現は嫌いじゃない。どちらかと言えば好きである。

3点目はギムレットのレシピが記載されている。ジン1/2にローズ社製ライムジュース1/2。めちゃくちゃシンプルである。因みに一般的なギムレットはジン3/4にライムジュース1/4。原作はどう書かれているんだろうか?

で、ずばり読むべき本なのか読まなくていい本なのかというと、「男子ならとりあえず読んどけ!」である。1950年前後のまだ人種差別が色濃く残っているアメリカの空気を感じることもできるし、全然簡潔でないマーロウの相手の神経を逆なでるような男臭い嫌味な台詞も勉強になる、いや、それはならないか(笑) よく知られた台詞以外にもツボに嵌る台詞が見つかる可能性も捨てられない。何より何度でも読み返してみたくなるほど惹きつけられる何かがあるのだ。ぜひ早いうちに一読されることをお薦めする。

DVD LongGoodbye (1) ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー  (著), 村上 春樹 (翻訳) 

さて、そんな濃いハードボイルド作品であったのだが、果たして自分の想像したチャンドラーの世界と、映像にした世界がどの程度合致しているのかってことで、1974年に公開された同作品の劇場版をDVDで早速拝見してみた。

なんと驚いたことに、かなりの部分においてストーリーが割愛されていて、原作とはほとんど別物の仕上がりとなっていた。特にラストシーンなんかは衝撃のひとこと。唖然とするしかなかった。故に本作品は間違っても鑑賞する価値はないと思われる。

但し、エリオット・グールドが演じていたフィリップ・マーロウのキャラクターは、「探偵物語」で松田優作が演じていた工藤俊作に多大な影響を与えていることは間違いないところ。内容はともかくキャラはかなり被っていたと思われる。

DVD LongGoodbye (2) ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー  (著), 村上 春樹 (翻訳) 

なお、唯一湧かせてくれたのは、ご覧の通りチンピラのチョイ役でアーノルド・シュワルツェネッガーがパンツ脱いで出演していたことだ。シュワちゃんが24歳くらいの頃のようだ。

★☆☆☆☆
The Long Goodbye
監督:ロバート・アルトマン
主演:エリオット・グールド

逆にぜひ鑑賞頂きたいのは昨年春にNHKで放送された日本版TVドラマの「ロング・グッドバイ」。

どっちが好き?探偵ドラマ対決!『ロング・グッドバイ』vs『リバースエッジ 大川端探偵社』

コチラは原作にかなり忠実なストーリーとなっていて、視聴率は芳しくなかったものの和製フィリップ・マーロウこと私立探偵 増沢磐二役の浅野忠信がハードボイルチックな渋い味をこれでもかってくれい醸し出している。また映像も戦後間もない東京の雰囲気が上手く映像化されていて永久保存したいほどであった。それ故にいつかDVD-BOXは手に入れてみたいと思う。なお、ストーリー等詳しくは以前に書いたコチラの記事をご覧頂きたい。

★★★★☆
ロング・グッドバイ
原作:レイモンド・チャンドラー
主演:浅野忠信

因みに村上春樹作品との出会いは、忘れもしない今からちょうど30年前の学生時代の頃。大学生になって初めて購入した本がたまたま処女作「風の歌を聴け」であったのだ。大学生協の書店で目を閉じてえいやーで選んだ本が偶然にもそれ。とても読み易く内容も薄いためすぐに読み終える。で、翌日にもう一冊追加購入することになり、再び目を閉じてえいやーで選んだところ、偶然にも春樹本2作目の「1973年のピンボール」に当たった。それ以来なんちゃってハルキストを続けている。最も好きな作品は「羊をめぐる冒険」。未だこれ以上の冒険小説は読んだことがない。