その昔、可動橋(跳開橋)として名を馳せた勝鬨橋。
以前ご紹介した佃島方面の眺めも素敵でしたが、
勝どき橋西詰からもこんな眺めがご覧頂けます!
夏の午後5時の夕暮れ。
手前に築地市場、
その向こうに汐留の高層ビル群や東京タワー。
左に目を移すと・・・
芝浦の高層ビル群が。
拡大してご覧頂くと、
スケールの大きな東京の景色を感じて頂けるかと。
さて、「勝どき」の名前の由来をご存じでしょうか?
実は遡ること今から108年前、
あの乃木希典大将が英雄視された
日露戦争(1904~1905年)の頃のお話デス。
1905年、日露戦争の旅順陥落祝勝記念として
当時の京橋区役所が築地と対岸の月島の間を結ぶ
無賃の渡し舟を設置したのです。
それがが「勝鬨の渡し」。
つまり日露戦争に戦勝した際の喚声「勝どき」を
もとに「勝どき」の名前が由来したわけですね。
その後、1940年に築地と月島を結ぶ「勝鬨橋」が完成。
「かちどきの渡し」は廃止されることになります。
しかし、当時は勝鬨橋の下に大きな船が往来していた為、
船が通ると橋の中央から分かれ、約70度開閉する
可動橋(跳開橋)になったわけですね。
但し、1968年、船の交通量の減少とともに
車の交通量が増加したため、
橋の開閉は廃止されることになりましたとさ。
おしまい。