映画『清須会議』を100倍、否1.2倍楽しむ為に愛知県の清洲城に行って参りました。

清州城 (7)

公開終了間際なので急いでー!


ま、そんなわけで
三谷幸喜原作・脚本・監督の
映画『清須会議』を観る前に

清洲城を実際に観といたほうが
楽しめるんとちゃうやろか?
という短絡的な発想を元に・・・

清州城  (3)

実家の三重県に帰省したついでに
現在の愛知県清須市一場にある
本作品の舞台となる清洲城に
ちょこっと寄って参りました。

さて、100倍楽しめるかな?笑

清州城  (4)

但し、その清洲城でございますが、
歴史的に名前は通っているものの
1613年に巨大な名古屋城が完成すると
城下町も移転し廃城となりまして、

現在の清州城は1989年に
旧・清洲町の町制100周年を記念して
建設された模擬天守でございます。

但し、外観や規模は実在した当時を
想像して建てられいるそうです。

清州城  (2)

現在の清洲城は遠くから眺めると
「えっ?滅茶苦茶小さくない?」
なんて感じられるくらいデス。

山の上に建っているわけでもなく、
幾重にも針葎されたお濠が
あるわけでもないので、
どうしても小さく感じられるんですが、
近づくと結構デカいお城デス。

清州城  (6)

もちろん名古屋城と比べれば
4階建ての小さいお城なんですが、
その歴史的な重要性は
名古屋城以上のモノがあることは
歴男、歴女の皆様は御承知の通りかと。

1405年に尾張・遠江・越前守護の管領
斯波義重(しば よししげ)によって
築城されたのが清州城の始まりですが、

1555年、那古野城から移ってきた
織田信長の一時居城となり、
駿河の今川義元を討った1560年の
桶狭間の戦いにおいても信長は
この清洲城から出陣しています。

また、1562年に織田信長と徳川家康
との間で結ばれた清洲同盟も
もちろんこの城で締結されました。

清州城  (8)

しかしながら、1563年に信長が
美濃の斎藤道三との戦に備えて
小牧山城に移った後は番城となります。

そして、再び歴史の表舞台に立つのは
清洲会議が行われた1582年のこと。

京都・本能寺の変において信長が、
二条城において信長の嫡男信忠が
家臣明智光秀の謀反によって
相次いで討たれると・・・

その頃、備中高松城を水攻めにしていた
羽柴秀吉が宿敵光秀を討つべく、
急遽中国大返しをやってのけ、
山崎の戦いで光秀を討ち取ります。

その後、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、
池田恒興の4人の織田家重臣によって
織田家後継者と領地再分配を決める
清州会議が行われることになります。

で、本作の織田家後継者争いでは
信長の次男・織田信雄を擁立する秀吉と
信長の三男・織田信孝を擁立する勝家
との間で対立が起こるストーリーです。

さて、実際の史実で清洲会議は
どんなだったのでしょうか?

もっぱら流布している説としては
柴田勝家は本作同様に
信長の三男・織田信孝を擁立し、
秀吉は信長の嫡孫、信忠の嫡男であった
三法師(織田秀信)を推したとされます。

そして、結果的に明智光秀を討伐した
羽柴秀吉が最大の功労者であったこと、
また丹羽長秀が秀吉の唱える
『長子相続の筋目論』を支持したことで
三法師が家督を継ぐことが決定。

織田信孝はその後見人となったものの
実質的に秀吉が重臣筆頭、後見人となり、
織田家の勢力図が大きく変わります。

但し、これは川角太閤記での出自であり、
「金井文書」「多聞院日記」によると
信長の次男・織田信雄と信長の三男・
織田信孝が互いに後継者の地位を
主張して引かないと予想されたため、
勝家・秀吉ら宿老たちが事前に
信長の嫡孫であった三法師を
仮の御名代とすることで勝家と秀吉の
双方了解済みであったと書かれています。
真相は藪の中ではありますが。

そんなわけで、
後継者選びよりも
発言権のほうで遺恨が残ったのか、
1577年の上杉謙信との戦い
「手取り川の戦い」での遺恨か、

同年1583年の4月に羽柴秀吉と
柴田勝家が直接対決する
賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いへと
歴史が動くことになるのです。

そして、清洲会議の領地再分配の結果、
清洲城は信長の次男・織田信雄が相続、
その後、豊臣秀次、福島正則、
徳川家康の四男・松平忠吉、
家康の九男徳川義直らの居城となるも
1613年の名古屋城の完成と城下町の
移転が完了したことで廃城となり、
およそ200年の歴史に幕を閉じます。

清州城 天守閣屋上から (10)

清州城天守閣からの名古屋駅方面。

この清洲会議を裏で操っていたのが
今年の大河ドラマの主役でもある
秀吉の軍師・黒田孝高(またの名を
黒田官兵衛)と言われています。

どんな清洲会議が「軍師官兵衛」では
描かれるのか、今から楽しみですね。

清州城 天守閣屋上から  (9)

因みに実際の天守閣は橋を渡った先の
緑の屋根の建物付近にあったそうです。

織田信長像 (1)

清洲城から歩いて数分のところにある
清洲公園内に建つ織田信長像デス。

織田信長像 (3)

歴史にもしはありませんが、
本能寺の変がもし起きていなかったら、
信長がそのまま天下を統一していたら、
歴史はどう変わってたでしょうね?

織田信長像 (2)

ボク的には結局徳川家康が
最後に笑ってるような気がしますが。

濃姫像

さて、信長像のすぐ隣にあるのは
信長の正室 濃姫の像です。

濃姫と言えば敵対していた
斎藤道三の娘として有名ですが、
信長との政略結婚後
歴史の表舞台に現れることはなく、
その生涯は定かではありません。

織田信長像 濃姫像 (4)

ご覧の通り、信長を見守るように
濃姫像が建っています。

織田信長像 (5)

さ、清須会議、
早くTV放送してくれないかな。。。

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