警察博物館 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件。

警察博物館 警視庁創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件 Metropolitan Police Department (6)

元刑事さんに勧められまして。

で、東京・京橋にある、と言ってもほとんど銀座に近い京橋にある警察博物館なるミュージアムに初めてお邪魔させて頂きました。

今回、警視庁創立140年特別展として「警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件」なる大イベントが開催されているということをジム友の元刑事さんにお聞きしまして、湾岸パトロール隊の一員としてこれは見逃せないぞ!ということで早速訪問した次第でございます。

警察博物館 警視庁創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件 Metropolitan Police Department (5)

コチラがその警察博物館。7階建ての立派な建物でございます。もちろん無料で入館できますし、よくある余計な入館手続きはありませんので、ぜひ銀座にお寄りの際は気軽に入館されては如何でしょうか?

警察博物館 1F展示施設 Metropolitan Police Department (7)

1階にはかなりしょぼいんですが(失礼)、昔活躍していた警察ヘリコプターや白バイなどの展示がされております。子供用の制服も用意されていますので、小さいお子様がいらっしゃればコスプレして写真撮影なんか如何でしょうか?

因みに展示されているヘリコプターの名前は「はるかぜ1号」だとか。

警察博物館 1F展示施設 ヘリコプター Metropolitan Police Department (9)

ヘリコプターの操縦席を覗けば当時のパイロットが如何に命懸けの飛行をしていたかが偲ばれます。

警察博物館 警視庁創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件 Metropolitan Police Department (3)

で、本題の「警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件」の企画展は同博物館の5階で開催さておりまして、イメージ(写真撮影禁止の為)としてはこんな感じデス。警視庁が創立された明治7年から現在までの140年間に渡る100の事件がパネル展示されております。因みに一番古い事件として紹介されていたのは明治10年に西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱「西南の役」でございました。この「西南の役」の鎮圧に貢献したのが当時の警察組織ということですね。ワタクシも小学校に入ってからの大事件はほとんど記憶しておりましたね。例えば1972年のあさま山荘事件とか、1974年に起きた三菱重工ビル爆破事件とかですね。

警察博物館 警視庁創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件 Metropolitan Police Department (4)

さて、コチラが警視庁全職員のアンケートで選ばれた事件のうち10位までデス。以下、事件に関する概要などを簡単にご紹介したいと思います。

で、やっぱり第1位は今も裁判が続くこの事件以外にありませんよね。

1位:オウム真理教事件
(平成7年(1995年)~)

地下鉄サリン事件 オウム真理教

この事件はワタクシにとっても相当ショッキングな事件でございました。特に有名なのが1995年3月20日午前8時頃に丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線の合計5つの地下鉄車内で発生した「地下鉄サリン事件」ですね。当時、ワタクシは神谷町にある某繊維商社に勤務していたんですが、会社の車で出勤すると、定時になっても誰も会社に現われない。「あれ?今日は休日だったかな?ま、仕事あるしいいか。」と、ひとりで仕事をのんびりやってたくらいです。すると、定時から1時間ほど過ぎてタクシーで出社してきた同僚社員に「霞が関駅を中心に地下鉄内で大爆破事件が起きている。」ということを聞かされます。

で、野次馬根性丸出しで日比谷線神谷町駅に駆け付けたのですが、地下鉄の入り口付近には数えきれないほどの人が倒れこんで苦しい表情をされてまして、ようやく事件の重大さに気付いた次第デス。同僚も何人かが病院で手当てを受けまして、結局死者13人、負傷者約6,300人を出す大惨事となった事件でございました。

この事件を契機に同年1月に起きた関西大震災のニュースがワイドショーから一斉に消え失せ、日本中がこの「オウム真理教事件」一色になったのでした。そして、「松本サリン事件」「坂本堤弁護士一家殺害事件」などの重大事件もオウム真理教の犯行であることが発覚し、マインドコントロールの恐ろしさが浮き彫りとなった大事件でございました。ま、この事件に関しては「あー言えば上祐」とか、青山総本部ネタとか山ほど書きたいことがあるのですが、さすがに割愛させていただきます。

2位:東日本大震災
(平成23年(2011年)3 月11日)

東日本大震災石巻市 (2)

もう説明不要ですね。発端は自然災害であり、事件というわけではありませんが、若い警視庁職員の方々には事件に相当するほどインパクトがあったことでしょう。ワタクシの人生感もこの大震災を契機に大きく変わったくらいですから。

3位:あさま山荘事件
(昭和47年(1972)2月19日)

あさま山荘事件

ワタクシがまだ6歳の時に起きた事件ですが、どの放送局も朝から晩までこの事件を生放送していた為、今も鮮明に記憶に残っております。

長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」に5人の連合赤軍メンバーが散弾銃・ライフル・拳銃・パイプ爆弾を武器に浅間山荘管理人の妻を人質にして10日間も立てこもった事件でした。

警視庁機動隊及び長野県警察機動隊があさま山荘を完全包囲するものの人質救出作戦が難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)もの被害者を出す最悪な状況に陥るも、10日目の2月28日に巨大な鉄球を用いて建物を破壊、機動隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕されて終結しました。

しかしながら、事件終了後も連合赤軍メンバー内での内紛により20代の男女12名が虐殺されたリンチ事件、俗に言う「山岳ベース事件」が発覚するなど痛ましい事実が次々と明るみにでた凶悪事件でした。

警察博物館 警視庁創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件 Metropolitan Police Department (2)

警察博物館に展示されていたあさま山荘事件当時の写真と連合赤軍メンバーが撃った銃弾の跡がいくつも残る防御盾。貫通してしまう恐れがあったため、盾を即席で2重に改造したそうです。

4位:三億円事件
(昭和43年(1968年)12月10日)

三億円事件 白バイ

1968年12月10日の事件発生時、当時ワタクシは3歳でしたので、もちろんリアルタイムでの事件の記憶はないのですが、1975年の時効後も絶え間なく謎の未解決事件として日本初のモンタージュ写真と一緒に事件の詳細が紹介されておりましたので、今もなお記憶に深く刻まれております。今年1月に放送された『松本清張ドラマスペシャル 三億円事件』(テレビ朝日、2014年1月18日放送、脚本:竹山洋、主演:田村正和)でも記憶に新しいところですね。

但し、例の有名となったモンタージュ写真ですが、事件直後に容疑者として浮上した人物(立川グループの少年S、事件5日後に死亡)が犯人に似ているという銀行員4人の証言を根拠とした上で、少年Sに酷似した人物の顔写真をそのまま無断で用いたものだそうです。また時効までに同事件の捜査に掛かった費用は9億円以上というオチがついたそうですが、未来の事件への投資と思えば致し方ないところでしょうか。因みに当時の3億円は現在の10億円ほどの価値になるそうです。

5位:大喪の礼/即位の礼・大嘗祭
(平成元年(1989年)2月24日)/(平成2年(1990年)11月12日)・(平成2年(1990年)11月22・23日)

昭和64年1月7日午前6時33分、62年の天皇在位期間ともに87歳という歴代最長齢であられた昭和天皇が皇居内の吹上御所でご逝去され、直ちに皇太子明仁親王殿下が神武天皇から数えて第125代の天皇に即位されました。当時の自由民主党竹下内閣は皇位継承に伴い、翌日8日からの新元号を「平成」と決定して、後に第84代総理大臣になる小渕官房長官が「平成」と筆で書かれた額を掲げ発表致しました。

そして、ワタクシが最も記憶に残っているのが平成元年2月24日、昭和天皇の国葬となる「大喪(たいそう)の礼」です。実はその前後ワタクシは北海道・東北地方に出張中でありまして、幸か不幸か祝日となったその「大喪の礼」の当日、札幌から秋田までのちょうど移動日であったことから不謹慎にも岩手県雫石スキー場にこっそりと寄って、独りスキーを堪能していたのでございます。がしかし、不謹慎な行為に罰が当たったのか、雫石スキー場の名物コース「弁慶の泣き所」で自ら招いた転落事故を起こしてしまい、1.5の視力を0.03まで失うという大惨事を勃発させてしまったのです(号泣)そんなわけで、ワタクシにとってはちょっと意味の違う大事件として記憶されているのでした。

6位:オウム真理教事件特別手配3人の逮捕
(平成24年(2012年1月1日~))

地下鉄サリン事件から17年後、2011年12月31日の大晦日に車両省に所属していたとされる平田信容疑者が突如警視庁丸の内警察署に出頭。指紋照合にて本人と確定されたため、翌日の2012年1月1日に逮捕監禁致死の容疑で平田信が逮捕されました。平田は元女性信者によって匿われていたそうです。

その年同じくして2012年6月3日、「菊地直子に似た女性を見かけた」との目撃情報が警視庁に寄せられ、それを受けて警視庁捜査一課が相模原市緑区の潜伏先を張り込みし、帰宅した女性に任意同行を求め、警視庁本庁への身柄送致が行われた後、捜査官が照合作業を行った結果、その女性が菊地直子本人であるとを確認し、殺人及び殺人未遂容疑で菊地直子を逮捕しました。

そして、2007年3月から2012年6月まで菊地直子を匿っていたという同居男性も犯人蔵匿罪で逮捕されると、菊地及びその同居男性の証言から最後のオウム逃亡犯である高橋克也に関する手掛かりが得られ、同年6月15日、潜伏していた東京都大田区西蒲田の漫画喫茶を出た所で身柄を確保、連行された蒲田警察署で逮捕されることになり、オウム真理教事件特別手配犯3人すべてが17年の歳月を経た2012年に逮捕されたことになったのです。

7位:世田谷一家殺害事件
(平成12年(2000年)12月31日)

3億円事件同様に未解決事件であり、小さな子供を含む家族4人を惨殺するなど残忍この上ない凶悪強盗殺人事件故に、なんとしてでも犯人逮捕をお願いしたいところであります。
正式名称「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」の詳しい状況と新たな情報が掲載されたPDFファイルと懸賞金1000万円に関する警視庁のサイトがコチラにあります。同事件に関する最新の情報が掲載されておりますので、ぜひご確認下さいませ。

8位:秋葉原無差別殺傷事件
(平成20年(2008年)6月8日)

別名「秋葉原通り魔事件」。わずか10分ほどの間に死者7人、負傷者10人を出した過去最大級の無差別通り魔殺人事件として記憶に新しいところです。昨日この事件のあった秋葉原の中央通りを上野方面に向かって自転車で通っているだけに、こういった常軌を逸脱した激情型の犯人による無差別殺傷事件に関しては何処で何が発端に起こるのか注意の施しようがないのが辛いところでございます。

さて、事件の概要としては当時25歳の元自動車工場派遣社員だった男の運転する2tトラックが秋葉原の歩行者天国となっていた中央通り内に突入、横断中の歩行者5人(うち3人が死亡)を跳ね飛ばします。そして、トラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。トラックを運転していた男は車を降りた後、被害者の救護にかけつけた通行人や警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーナイフで立て続けに刺す凶悪行為にでます。さらに、男は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして駆けつけた警察官2人よって犯人を現行犯逮捕するに至りました。

西南の役 城山の戦い

9位:西南の役(西南戦争)
(明治10年(1877年)2月~9 月)

1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において明治維新の立役者であったはずの西郷隆盛が盟主となって起こった不平士族による武力反乱。明治初期の一連の士族反乱のうち最大規模で日本最後の内戦となりますが、同年1月の反乱の直前、西郷隆盛が運営する私学校の内部偵察と離間工作のために警視庁大警視川路利良が中原尚雄以下24名の警察官を、「帰郷」の名目で鹿児島へ派遣するなど、1874年に内務省管轄の東京警視廳として創設されたばかりの警視庁が深く関わった戦いでもありました。

西郷隆盛が盟主となったこの不平士族の反乱ですが、司馬遼太郎著書の『翔ぶが如く』、シナリオ本ではありますが、この本を読んでおりますと、西郷隆盛は明治維新を完結させるためにわざと不平士族を率いて反乱を起こし敗北することで戦乱の世を終わらせたのではないのかな?と思えるところであります。実際はどうでしょ?それって司馬さんの妄想なのかな?

10位:八王子スーパー強盗殺人事件
(平成7年(1995年)7月30日)

7位の世田谷一家殺害事件同様に未解決事件のひとつでもあります。1995年7月30日午後9時15分から20分頃、八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の2階事務所に拳銃強盗が押し入り、女子高生のアルバイト2人を含む3人の女性が拳銃で殺害された残酷極まりない事件でした。警視庁も犯人逮捕に向けてコチラで情報の提供を呼びかけておりますので、ぜひご協力を。

以上、忘れられない事件、忘れてはいけない事件など様々な事件に関する展示がされております。1時間もあれば見学出来るかと思いますので。お時間がある方はぜひ来場されてはいかでしょうか?

【創立140年特別展 警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の十大事件】

期間:3月19日(水)〜5月6日(火)
時間:午前10時〜午後6時(月曜休館)
場所:警察博物館5階イベントホール(東京都中央区京橋3-5-1)