マッカーサーに追い出された男。

milano_dria サイゼリア ミラノ風ドリア

サイゼリヤと言えばのミラノ風ドリア。


マッカーサーを怒鳴りつけた男。
マッカーサーが探した男。
に続いてのマッカーサーに絡む
素敵で泣かせるお話のご紹介デス。

さて、カスピ海ヨーグルト以外に
毎朝いろんな種類の冷凍ドリアを
チンして食べるのがほぼ習慣化
されている今日この頃ですが、

ロケットニュースによりますと、
実はこの「ドリア」ってメニュー、
イタリア生まれの食べ物ではなく、
日本発祥の食べ物なんだとか。

発案者は1927年の30歳の時から
1945年までの約18年間
横浜ホテルニューグランドの
初代総料理長として腕を振るった
スイス人のサリー・ワイル氏。

このサリー・ワイル氏は画一的
だった日本のフレンチ料理界に
新風を吹き込んだことでも知られ、

例えば・・・・・

コース料理しかなかった時代に
アラカルトメニューを用意したり、
シェフ自らが接客をしたり、
ローストビーフを客の席の
目の前でで切り分けたりと、
斬新なサービスのアイディアを
次々と実行していったそうデス。

また、東京オリンピック選手村の
総料理長を務めた馬場久をはじめ、
ホテルオークラ総料理長小野正吉、
プリンスホテル総料理長の木沢武
などなど、日本を代表する
凄腕シェフを数多く門下生として
育てたことでも知られています。

まさに日本のフレンチ料理界の父
とも元祖とも言える存在なのデス。

がしかし、サリー・ワイル氏は
ユダヤ人であったことが災いして、
太平洋戦争末期に軽井沢に軟禁。

※バターン号で厚木海軍飛行場に
到着したマッカーサー元帥
wikipediaより

終戦後に無事解放されたものの、
横浜ホテルニューグランドは
ダグラス・マッカーサー率いる
GHQに接収されたことから
元の職場への復帰は結局叶わず、
涙ながらにスイスへ帰国します。

つまり、

『マッカーサーに追い出された男。』

ってことになるのであります(涙)

1973年、ワイル氏76歳の時、
日本の西洋料理界への貢献から
勲五等瑞宝章を授かるも
時既に遅かったようで、
晩年は仕事に恵まれることなく、
79歳で人生に幕を下ろしたそう。

そんなわけで、
今後ドリアを食する際は
ぜひサリー・ワイル氏のことを
思い出してあげて下さいな。

因みにホテルニューグランドは
バドワイザービール勤務時代に
何度も仕事で訪問してますが、

1927年開業当時の低層階の建物が
今も残る貴重なホテルでして、
マッカーサーが滞在していた
本館315号室のスイートルームは、
今も「マッカーサーズスイート」
として宿泊可能になっています。