29年前に起こった笑いと涙の厚木米軍基地監禁事件。

厚木米軍基地地図

厚木米軍基地の上空から。


中国にて日本人2人がスパイ活動を行った容疑で公安に逮捕されたとのニュースが昨日より報道されてますが、このニュースを見て思い起こされるのが、忘れもしない今から29年前、僕自身に起こった笑いと涙の厚木米軍基地監禁事件である。別名「厚木米軍基地不法入国事件」とも言うが、忘れる前にそのあらましの一部始終をまとめておくことにした。

時は29年前、大学3年の夏休み。京都の某レストランのバイトでお世話になった方が東京転勤になった為、夏休みを利用して、その方の成城にあるレストランでバイトすることを予定していた。で、バイト開始まで1週間ほどの猶予があった為、東京の大学に通う高校同級生らと一緒に遊び呆けていたのだが、ある日の夜、相模原在住の後輩の下宿先から東京へ帰る途中、何やら高速道路っぽい整備された道路に迷い込んでしまった。

確かに道路沿いに英語の標識が見えた覚えがあるのだが、あまり深く考えずそのまま直進。検問らしきところもあったのだが、停車していたタクシーの隣りをそのまま素通りして、500メートルほど奥に直進した。が、そこでようやく周りの異様な建物の雰囲気に、、、

そこが米軍の軍事基地だと理解出来たのである。気付くの遅すぎ(滝汗)

基地内の異様な雰囲気に背筋が凍りつくとはこのことかと思ったのも束の間、後ろから拳銃もったアフリカ系米国人兵がバイクに乗って追っかけてきたのがバックミラー越しに見えた。ヤバい!と思ったが車を止めるのが精一杯で身体は反応せず。

車の中で手を挙げて、HELP ME!

その後、けたたましいサイレン鳴らした車に乗っきた3人の米軍兵が合流し、都合4人の巨人米軍兵に囲まれて、唾を飛ばされながら物凄い剣幕でぶち切られた。何言ってるのかさっぱり分からなかったが、後にも先にもあんなに怒られた経験はない。ヘッドバットぎりぎりのところまで顔近づけて怒鳴ってきます。米軍兵キレるとマジやばいデス。

で、基地内の檻で監禁(涙)

その間、車とか所有物に爆弾入ってないかとかいろいろ調べられて、2時間ほど経過したところで、やっとこさ日本人の憲兵さん登場。助かったと思ったのも束の間、不法侵入?不法入国?かなんかで逮捕されることを覚悟してくれだと。もちろん基地内は治外法権だ。何されるか分からない。大学だって退学になるかもしれない。

ではあったが、憲兵さんの懸命の説得工作のお蔭で、辛くも不法侵入?不法入国の罪は免除され、なんとか大和警察署への身柄引き渡しでケリが付く。憲兵のお爺ちゃん、その節は本当に有難うございました。

監禁されて5時間ほど経過したところで、ようやく大和警察の署員が3人やってきて、無事基地の檻から解放される。署員曰く、「あと100メートル基地の奥に入っていたら、車ごと機関銃の餌食やったよ。ここ数年でも基地近辺での行方不明者って多いんだよな。」とビビらされる。

但し、このまま帰れるかと思ったらそうは問屋が卸さず、大和警察署に連行されて、東京中の訪問先を書類に書きださせられる。そして、その全てに署員が電話連絡し、過激派等のあらぬ疑いがないかどうかの調べがついてから晴れて無罪放免となるのだ。はぁ。

ところが、ここで神風が吹く。幸いにも唯一電話連絡のついたのが実家の母親。交渉の結果、母親が迎えにくることを条件に仮釈放に緩和され、さらに母親の演技力が功を奏したか、ひとり実家へ車で帰ることもOKされる。当時は割と警察もいい加減、否、とても話の分かる親切なおまわりさんたちで良かった良かった。で、ついでに厚木軍事基地なのになんで厚木警察ではなく大和警察署の管轄なの?って疑問も教えてもらう。ほんとかどうかは知りませんが、戦艦大和に起因してるそうな。

実家での数日の軟禁後、晴れて疑いなしという電話連絡を大和警察から受けて、ようやく無罪開放。但し、もう東京は勘弁ということで京都へすごすご帰る。もちろん東京のバイト予定先には電話で平謝り。店長は大ウケだったけど。

ま、幸か不幸かそんな事件を29年前に経験して得た教訓は、国内外拘わらず軍事基地周辺では、うろちょろしないが賢明かと。

中国で拘束されている日本人の方2名、無事無罪で釈放されることを心よりお祈りいたします。