ROMEOのリングノートをリピる。

G.itoya 銀座伊東屋 ロメオノート itoya_romeo_note (4)

ロメオのリングノート愛用中。


お馴染みとなった
伊東屋オリジナルの
ロメオリングノートですが、

万年毛筆でなんちゃって書道、
モンブランのDaniel Defoe
まめにメモを取る癖つけましたら、
もう残り少なくなりまして。

G.itoya 銀座伊東屋 ロメオノート itoya_romeo_note (2)

再び銀座伊東屋へ。

やっぱりこの店は
テンション上がりますネ!

早速4階のノート売場へ。

G.itoya 銀座伊東屋 ロメオノート itoya_romeo_note (3)

ロメオのリングノート山積み。

但し、

ノートの自由な試し書き放題は
出来なくなったみたいデス(涙)

G.itoya 銀座伊東屋 ロメオノート itoya_romeo_note (1)

エスプリを目指すべく、
主に読書ネタをメモってます。

かなり滑りやすい紙質でして、
アニエス・ベーの万年筆なんかは、
滑って全然書けないってくらい
贅沢なノートなんですが、
品格があるので良しとしてます。

一生継続するつもりで選んだ
自分にとって極上の逸品デス。

PS.

さて、最近読んでる本がこちら。

昭和の三傑
憲法九条は「救国のトリック」だった
著者:堤 堯

島地勝彦氏お奨めの
めちゃくちゃ勉強になる書デス。
以下、wikipediaの説明を加えて
概略を紹介させて下さいませ。

史実は小説より奇なりデス。

明治維新の三傑が、
西郷隆盛、
大久保利通、
木戸孝允の3人であるならば、

昭和の三傑は、
敗戦処理の難事に対処した
以下3名の首相であると。

死と背中合わせになりながら
終戦の大業を成し遂げた
鈴木貫太郎。

戦力の不保持、
つまり憲法第9条2項を
マッカーサーに盛り込ませた
幣原喜重郎。

サンフランシスコ平和条約を
締結させた吉田茂。

で、ただ今、
一番最初に登場する
鈴木貫太郎首相のところを
読んでる最中なんですが、
あまりに壮絶過ぎて愕然とします。

Kantaro_Suzuki_suit 鈴木貫太郎

1936年2月26日、
陸軍皇道派の影響を受けた
青年将校らが1483名の兵を率い、
「昭和維新断行・尊皇討奸」を
旗印に決起した二・二六事件。

当時侍従長であった鈴木貫太郎は、
陸軍大尉安藤輝三の指揮する
十数人の部隊に麹町三番町の
侍従長官邸を襲撃される。
時間は午前5時だ。

将兵:閣下でありますか?

鈴木:ああそうだ。私は鈴木だ。
  何事が起こってこんな騒ぎをしているのか
  話したらいいじゃないか。

将兵:ヒマがありませんから撃ちます。

パン・パン・パン・パン

4発の乾いた銃声が室内に響く。

なんの抵抗をする間もなく、
鈴木貫太郎は左脚付根、左胸、
左頭部、肩に4発の銃弾を浴びる。

遅れて安藤輝三大尉が入室。

将兵の一人が軍刀を抜き、
鈴木に止めを刺そうとするが、
妻 たかが「おまちください!」と
大声で叫び、「老人ですから
とどめは止めてください。
どうしても必要というなら
わたくしが致します。」と
気丈に言い放つ。

安藤はうなずいて軍刀を収めると、
「とどめは残酷だからよせ、
みんな閣下に対して敬礼しろ。
鈴木貫太郎閣下に敬礼する。
気をつけ、捧げ銃」と号令した。

そして、安藤はたかの前に進み、
「まことにお気の毒なことを
いたしました。我々は閣下に対して
何の恨みもありませんが、
国家改造のために
やむを得ずこうした行動を
とったのであります」と静かに語り、
兵士を引き連れて官邸を引き上げた。

反乱部隊が去った後、
鈴木は自分で起き上がり、
「もう賊は逃げたかい」と尋ねた。

たかは止血の処置をとってから
宮内大臣の湯浅倉平に電話をかけ、
湯浅は医師の手配をしてから
鈴木のもとへと駆けつけた。

鈴木の意識はまだはっきりしており、
湯浅に「私は大丈夫です。
ご安心下さるよう、
お上に申し上げてください。」
と言うものの、声を出すたびに
傷口から血が大量に溢れ出ていた。

そこはもう血の海だった。

近所に住んでいた
帝国大学の塩田広重医師とたかが
血まみれの鈴木を円タクに押し込み
日本医科大学飯田町病院に運んだが、
出血多量でついに意識を喪失、
心臓も停止してしまった。

直ちに塩田広重医師によって
甦生術が施され、
枕元ではたかが必死の思いで
呼びかけたところ、
奇跡的に鈴木は息を吹き返した。

4発の銃弾が奇跡的に急所を
外れていたことが幸いしたのだ。

その後、昭和天皇は
「最も信頼する老臣を
殺傷することは真綿にて我が首を
絞めるに等しい行為」と激怒、
討伐命令の勅命が発せられた。

2月29日、戒厳司令部は
約2万4000人の兵力で反乱軍を
包囲して戦闘態勢をとった。

そしてラジオや飛行機からのビラ、
アドバルーンなどで
「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」
「お前達の父母兄弟は国賊となるので
皆泣いておるぞ」などと、
下士官らに帰順を呼びかけた。

このため大部分の下士官らは帰順し、
青年将校も野中大尉が自決したほかは、
鈴木を襲撃した安藤輝三大尉も
拳銃での自決が失敗に終わり、
結局憲兵隊に検挙されることになる。

そして、この事件の結果、
昭和天皇も止められないほど
軍部の影響力は強大となり、
5年後の太平洋戦争へと繋がっていく。

(つづく)

PS2.

それにしても
鈴木貫太郎の奥さんが凄いですね。
普通なら慌てふためいて、
何にもできないと思います。

トドメがどうしても必要というなら、
わたくしが致します。

なんて言葉が咄嗟に出るなんて、
どういう教育を受けてきたんでしょ?