ARMANI JEANS、お前もか。

アルマーニジーンズ ARMANI_JEANS (1)

アルマーニジーンズ、お前もか。


わずか3年前に手に入れた
人生初のアルマーニジーンズ

アルマーニジーンズ ARMANI_JEANS (2)

週3回通っているスイムの
ドルフィンキック猛練習の成果か

アルマーニジーンズ ARMANI_JEANS (3)

太腿がどうやら肥えたみたいで、

アルマーニジーンズ ARMANI_JEANS (4)

エンポリオ・アルマーニ
アンダーウェアに続いて、、、

股下がパンクしました(号泣)

なんとか修理はするとしても、
ストレッチ入っていないデニム故、
しばらくお預けになりそうデス。

で、OH MY GOD~!の悲鳴とともに
アルマーニジーンズ、お前もか。
と、声が出た瞬間に
ジュリアス・シーザーのことが
無性に調べたくなり、
高校生時代以来、
32年振りにシーザーのことを
以下、大調査してみました(笑)

PS.

今から2100年以上も昔、
日本では卑弥呼が生まれるもっと前、
弥生時代の中期の紀元前100年、
イタリア・ローマの地において
一人の英雄が生まれました。

その彼の名は・・・・・

ガイウス・ユリウス・カエサル Julius_Caesar_Coustou_Louvre_MR1798

ガイウス・ユリウス・カエサル

またの名を

ジュリアス・シーザー(英名)

ローマの名門貴族に生まれ、
弁舌な民衆派として名を馳せた
カエサルは、37歳になった頃、
最高神祇官として頭角を表し、

スパルタクスの反乱を鎮圧するなど
若くして多くの戦績を遺した軍人
グナエウス・ポンペイウスや
「ローマの半分の富を持つ男」と
呼ばれた大富豪クラッススと共に
共和政ローマの統治機関であった
元老院に対抗する三頭政治を展開。

その後、トランサルピナ、
キサルピナ等の属州総督に就任し、
カエサルはローマと距離を置くと、
現在のフランスに当たる
ガリア全域をも武力で支配し、
総督として辣腕を振るう。

カエサルの強みは、総督という
非情に高い地位にありながらも、
常に部下らと寝食をともにし、
一兵卒の名前まで記憶するなど
部下たちに横から目線で接する
気配りにあったと言う。

がしかし、

カルラエの戦いで
クラッススが戦死すると、
微妙なバランスで成り立っていた
三頭政治は崩壊し、
さらにポンペイウスに嫁いでいた
カエサルの娘ユリアが死去。

その結果、ポンペイウスが
カエサルとの距離を置きはじめ、
更に元老院と手を組み直したことで、
息を吹き返した元老院側は、
広大なガリアの地を支配し、
危険人物と思われていた
ユリウス・カエサルに対して
突如ガリア属州総督解任および
本国への召還を命じたのである。

そして、紀元前49年1月、
逆賊の汚名を着せられたと言っても
過言ではなかったカエサルは、
命令通りローマに帰還する際、
ローマ国境のルビコン川を前にして
大きな決断を下すのである。

ガリアから率いてきた兵を
このままガリアに帰すのではなく、
法を破ってこの兵たちとともに
ルビコン川を渡り切り、
そのままローマへ進軍すると。
つまり、クーデーターを企てると。

その決断を下したカエサルが
腹心であったアントニウスに
語った言葉が以下の通りである。

アントニウスよ。

女は「だから」に身をゆだね、男は「なのに」に身を焦がす、そういう生き物であるとは思わぬか。

いかなる怒り、いかなる力が元老院にあろうとも、我々は取り拉ぐ栄光を彼らに許すわけにはいかんのだ。

我々はガリアの地における成功で、安住の余生が送れるという理由で、元老院に膝を屈し慈悲を請い、彼らが勝利に驕り、喜びの情に溺れ、支配権をほしいままにする圧政者としてローマを掌中に収める姿を横目に見るわけにはいかぬのだ。

支配者には名誉と責任は同じくらいつきまとうもの、他人以上に名誉ある地位につけば、それだけいっそう危険に身をさらす責任もあるはずだ。

そこに暗澹たる戦火が待ち受けていようとも、今こそ我らの信念の火を灯さなければならんのだ。

ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。

進もう、神々の待つところへ! 

我々を侮辱した敵の待つところへ!

賽は投げられた!

(スエトニウス「ローマ皇帝伝」)

(つづく)