チャールズ皇太子の流儀。

ザ・レイク・ジャパン 表紙 2016年1月号 THE_RAKE_JAPAN_201601

トロント・スコット連隊の
名誉連隊長の制服を着用した
チャールズ英国皇太子こと
プリンス・オブ・ウェールズ。


内気で内向的な性格から
いろいろと誤解の多い方ですが
「元祖 Heritager」とか
「Heritager の父」と呼んでも
過言ではない人物の一人かと。

40年物のジョン・ロブ
未だ大切に履き続ける彼の姿には、
多くの英国人が涙したはず。

ジョンロブの他にも
サビルロウが誇るアンダーソン&
シェパードのダブルのスーツ
ターンブル&アッサーのシャツなど
一途に愛用しているアイテムを
挙げればきりがありません。

がしかし、、、

そのチャールズの一途な想いが
時として裏目に出てしまい
大きな不幸を呼んでしまいます。

まだチャールズ皇太子が
20代前半の頃の遠い昔のお話。

今から43年前の1972年
24歳の若きチャールズは
共通の友人を介して
カミラ・シャンドという名の
一人の美しい女性と出会います。

内気で内向的だったチャールズは
天真爛漫で気取らない彼女に
すぐさま魅了され
密かに恋心を燃やします。

しかし、恋の神様は
チャールズに残酷な決断を下します。

海軍での軍務の為、チャールズが
伝説的軍艦HMSミナーバでの
8カ月もの長い航海に出た間にこと。

航海に出発して4か月後
こともあろうか
カミラ・シャンドは
元彼であったアンドリュー・P・
ボウルズと婚約してしまうのです。

カミラの突然の婚約を
航海上で知ったチャールズの
動揺ぶりは想像に難くありません。
相当に痛ましいものだったそう。

さらに追い打ちをかけるように
カミラの夫アンドリューの両親が
チャールズの母エリザベス2世と
大変親しい関係であったことから
再びカミラと顔を合わせる機会を
増やしてしまうのです。

そして、焼けぼっくいに
火がついてしまったチャールズは
とうとう我慢することが出来ず
再び恋の炎を燃やしてしまうのデス。

それでも一旦は
王位継承者として責務を果たす為
しばらくカミラ夫人との距離を置き
1981年、スペンサー伯爵令嬢
ダイアナ妃との結婚を果たします。

とは言ってもチャールズの心は
既にカミラ夫人にあったわけで
はじめからダイアナへの愛など
少しも持ち合わせておらず
その事実は側近たちの間でも
公然の秘密にされていました。

結局1986年、「まるで檻の中を
行ったり来たりしているようだ。
自由になりたい。」と本心を語り
カミラ夫人との道ならぬ恋に
突き進むことを決断するのデス。

後は皆様もご存じの通り
チャールズとダイアナは別居し
1995年、アンドリューと
カミラの離婚が先に成立すると
1996年、エリザベス2世の
仲介によってチャールズと
ダイアナの離婚も成立します。

そして、1997年8月31日
不幸にもダイアナはパリで
不慮の自動車事故に合い
当時交際していたとされる
エジプト人大富豪の子息
ドディ・アルファイドとともに
命を落としてしまいます。

ダイアナ元妃の死後
英国民の悲しみが
止まることはありませんでしたが
その後しばらく時間をおいて
チャールズとカミラはようやく
公然と交際できることとなり
出会いから33年の時を経た
2005年4月8日、56歳の時
王位継承権を残したまま
晴れてウィンザー城礼拝堂にて
二人の結婚が認められたのデス。

但し、カミラはダイアナ元妃と
英国民の感情に遠慮し
コーンウォール公妃と称しただけで
プリンセス・オブ・ウェールズを
名乗ることは辞退しています。

もちろんこのチャールズの
過去の優柔不断な行動は決して
誉められたものではありません。

しかし、愛のために王位を譲位した
エドワード8世同様
イギリス皇太子と言えど
そこはやっぱり生身の人間
愛を偽り続けることなど
決してできなかったのでしょう。