外交史料館でお勉強デス。
諄いようですが、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」
by オットー・フォン・ビスマルク
「歴史に学ばない国民は滅びる。」
by 吉田 茂
ってことで、
かの吉田のトイレットペーパーを
一瞥する為に港区麻布台にある
外交史料館に訪問して参りました。
隣りにある麻布郵便局は、
20年以上前の商社勤務時代に
100回以上訪れてますが、
まさかその横にこんな貴重な
資料館が存在してたとは
まったく思いもしませんでした(汗)
しかも無料だし。
で、冒頭画像の建物が
外交史料館の本館になります。
但し、外交史料館本館のほうは、
事前に調べたい外交関係資料と
訪問予定時間を予め予約しておく
必要がありまして、学術的に
使用する場所なのかなと。
ご覧の通り一般公開されている
資料はコレと、、、
日本のシンドラーと呼ばれた
リトアニアのカウナス領事館の
領事代理だった杉原千畝さんの
貴重な資料だけでした。
で、本館の左側にあるのが、
こちらの外交史料館別館入口。
とても質素なエントランスです。
1階玄関には巨大な吉田茂像。
日本の戦後の外交と言えば
吉田茂首相兼外務大臣を抜きに
語れませんからね。
こちらが2階にある入口デス。
思ったより地味?汗
こちらが別館の資料館内デス。
さほど大きくありません。
がしかし、
質素な室内とは対照的に
貴重な資料のオンパレードです。
1895年4月17日
日清講和条約調印書
1894年7月25日に開戦し、
1895年3月に終戦した
日清戦争の講和条約調印書デス。
清からの朝鮮独立、
清から日本への領土割譲
(遼東半島・台湾・澎湖列島)と
賠償金支払い(約3億円)、
日本に最恵国待遇を
与えること等が決まった。
調印書のサインは
時の総理大臣 伊藤博文と
外務大臣 陸奥宗光。
清国側は李鴻章と李経方。
1895年11月8日
遼東半島還付条約調印書
日清講和条約にて領有したはずの
清国の遼東半島をロシア、ドイツ、
フランスの三国干渉によって
返還せざるえなくなったことで
締結した条約の調印書デス。
調印者は林董特命全権公使と
清国側は李鴻章。
この条約の調印によって
日本の新聞社が弱腰外交だと
相当書き立てたと聞いています。
1902年1月30日
第1回日英同盟協約
欧州列強の中でも
「栄光ある孤立」と呼ばれる
外交戦略をとっていた
英国との二国間同盟。
調印者は林董駐英大使と
英ランズダウン外務大臣。
もともとはロシアのアジア進出に
共同で備えることを目的とした。
日本にとっては初の軍事同盟。
この日英同盟は
1922年のワシントン会議まで
20年間継続されることに。
以上、この続きはまた改めてデス。