東 京1945 秋。

米軍が見た東京1945秋 佐藤 洋一 (著) tokyo1945

米軍が見た東京1945秋
終わりの風景、はじまりの風景


向こうに見えるは勝どき橋。

さて、昨年に引き続いて、
今から71年前の
1945年3月10日午前0時7分、

279機ものアメリカ軍大編隊が
現在の江東区・墨田区・台東区、
中央区への焼夷弾による
過去最大規模の爆撃を開始。

2時間半もの集中爆撃で
東京の街は無残な焼け野原に。

当時の警視庁の調査での
空襲での被害数は以下の通り。

死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸

単独の空襲による犠牲者数は
ドイツのドレスデン爆撃に匹敵し、
世界の戦史史上最大規模である。

米軍が見た東京1945秋 佐藤 洋一 (著) tokyo1945_yurakucho

当時の地名では日本橋区呉服橋。

今も現存しているビルは
日本橋高島屋と東京建物本社ビル。

白木屋百貨店は、
コレド日本橋に替わっている。

本書ではこのような
米・占領軍が記録・保存していた
170点超もの秘蔵写真が
惜しみなく公開されています。

繰り返しますが、

いつの時代も
国家によって滅ぼされ、
下々の手によって創造され直す、
それが平和、
平和の流転というものか。

文・東雲乃風

世界は一家、人類はみな遠縁
お忘れなきように(笑)

PS.

日本軍の最高統帥機関であった
大本営は一体何処にあったのか?

現在の東京・市ヶ谷にある防衛省
庁舎敷地内の地下壕にあったそうで
老朽化が激しいものの今も地下壕は
現存しているとのこと。