孤高の脚本家、ダルトン・トランボ。

パピヨン 脚本家 ダルトン・トランボ Dalton_Trumbo_Papillon

この俳優を誰だかご存じだろうか?


スティーブ・マックイーンと
ダスティン・ホフマンという
2大スターが共演した
脱獄系映画の名作「パピヨン」。

その冒頭シーンに登場する
フランスの某刑務所長役のこの男、

実はこの男こそが
「ローマの休日」をはじめ
「スパルタカス」
「パピヨン」など
数多くの名作を生んだ天才脚本家
ダルトン・トランボ本人である。

そのトランボが扮した
刑務所長は、マックイーンや
ダスティン・ホフマンが演じた
100名を超える囚人たちを前に
こんな言葉を言い放つ。

たった今から
お前たちはフランス領
ギアナ刑事局の所属となる

たとえ刑期を終えても
8年以上の刑を
課せられていた者は
植民地労働者として
ギアナに留まる

労働期間は
各人の刑期に等しい。

これはフランス国家の意思である。
お前たちは見捨てられたのだ。
祖国など忘れろ。

Papillon パピヨン スティーブ・マックイーン

そして、
そのパピヨンのラストシーン、

絶海の孤島から
見事脱獄に成功した
パピヨン演じるマックイーンは
逆にこんな言葉を最後言い放った。

ざまあみろ
俺は生きているぜ
自由を手に入れてやったぜ

※浮き輪を支えているダイバーが
映っているのはご愛敬(苦笑)

Roman Holiday ローマの休日 真実の口 オードリー・ヘップバーン グレゴリーペック

さらに加えて
名作「ローマの休日」で
お馴染みとなった
「真実の口」を前にした
主役二人の名シーンの演出。

これら印象的なセリフや
演出がなされた裏には
実は天才脚本家トランボ自身に
凄まじい葛藤があったことが
意外と知られていないようなので、
その一部を以下簡単にご紹介する。

「潜水艦SOS(1937年)」
「恋愛手帖 (1940年)」
「東京上空三十秒(1944年)」
「緑のそよ風(1945年)」

以上4作品の脚本家として
着実にキャリアを積んでいた
ダルトン・トランボであったが、

第二次世界大戦終戦後の
東西両陣営が分かれて対立する中、
共産主義者であったトランボは
1947年10月20日、
反共キャンペーンを企てた
米国下院非米活動委員会による
第一回聴聞会において
共産党員、つまり共産主義者
であるかどうかの事実を問われ、
その証言を拒んだことから
議会侮辱罪で強引に逮捕され、
完全に法律を無視した
禁固刑の実刑判決を受ける。

しかし、

なんとか刑期を終え、
釈放されたものの
既にトランボはハリウッドから
追放処分を課されていたのだ。

もはやトランボは
映画脚本を書くことを許されず、
1958年の「テキサスの死闘」まで
他人の名義を借りて脚本を書く
ゴーストライターとして
生きなければならなかった。

そんな失意のうちに書いたのが
友人イアン・マクレラン・ハンター
に名義を借りた「ローマの休日」。

つまり、先にも紹介した
「真実の口」のシーンこそ
共産主義者の事実を強引に迫り、
違法な手段で赤狩りを進める
共和党右派に対するトランボ
自身の痛烈な皮肉を込めた
演出だったのではないだろうか。

そして、

話を「パピヨン」に戻すと、
マックイーン扮する
囚人パピヨンが
捕まっても捕まっても
何度でも脱獄しようとする、
その決して諦めない姿勢こそ
ダルトン・トランボ自身を
映し出したものではないだろうか。

恐るべしトランボの執念である。

なお、「ローマの休日」は
1953年度アカデミー賞において
名前を借した友人ハンターが
アカデミー最優秀原案賞を
一度は獲得しているが、

その後、上記の事実が発覚し、
トランボの死後16年後の
1993年に改めてトランボに
賞が贈られることとなった。

なお、その授賞式では、
トランボの代わりに妻クレオが
オスカーを受け取ったそうだ。

また1957年に
「黒い牡牛」でもトランボは
同じアカデミー原案賞を
この時は他人名義ではなく、
「ロバート・リッチ」という
偽名(ペンネーム)を使って
受賞しているが、

亡くなる一年前の1975年、
幸いにもトランボ名義に
書き換えられることになった。

ざまあみろ
俺は生きているぜ
自由を手に入れてやったぜ

by Dalton Trumbo