村上春樹が小説家を目指した理由。

haruki_murakami 村上春樹 職業としての小説家

腕時計のブランド、分からず(涙)


さて、村上春樹新著
「職業としての小説家」を読む前に
どうして村上さんが小説家を
目指すようになったのか、
以下ちょっと妄想してみた。

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小説家・村上春樹氏が

「これまでの人生で巡り会った
最も重要な本を三冊あげろ。」

と問われれば考えるまでもなく
以下の三冊を選ぶとのことは
ハルキストであれば常識だ。

1880年『カラマーゾフの兄弟』
フョードル・ドストエフスキー

1925年『グレート・ギャツビー』
スコット・フィッツジェラルド

1953年『ロング・グッドバイ
レイモンド・チャンドラー

村上春樹氏はこれら三作品の
翻訳本も既に書いている。

そして、この三作品の中でも
特に自身が小説家を目指す
きっかけを与えてくれたのが
『グレート・ギャツビー』だと
同著書の翻訳本のあとがきに
村上春樹氏は書いている。

この『グレート・ギャツビー』
村上作品によく見受けられる
鮮明過ぎるほどの情景描写と
繊細すぎるほどの心理描写が
随所に散りばめられている。

特に本作の語り手となる
登場人物ニック・キャラウェイの
卓越した観察力・洞察力には
誰しもが恐れ入るだろう。

ここまで瞬間的に周囲の情景や
相手の仕草・表情を観察して
その心理を読み解いていくのかと。

かの開高健先生は
主人公が経験した情景や感情を
如何に読者の瞼の裏に
鮮烈に焼き付けるかに重きを
置いていたような気がするが

フィッツジェラルドの場合
語り手が経験した情景や感情を
如何に読者がその場に
居合わせたかのように感じさせるか
そのリアルさに重きを
置いたのではないだろうか。

そして、村上春樹氏は
そのフィッツジェラルドの
表現方法をさらに極める
という大きな目標をもって
小説家を目指したのではないかと
本作品を読んで感じた次第である。

最後に村上春樹氏は
『グレート・ギャツビー』の
翻訳本を2006年に刊行しているが
特に冒頭と巻末の翻訳に腐心したそうだ。

その部分だけ抜粋する。

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.
“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”

僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ。」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられていたわけではないのだと。」

Gatsby believed in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that’s no matter — to-morrow we will run faster, stretch out our arms farther. . . . And one fine morning ——
So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.

ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。・・・・・そうすれば晴れた朝に————
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

なお、フィッツジェラルドは
処女作「楽園のこちら側」
「美しく呪われたもの」などが
立て続けにヒットして、
時代の寵児と持て囃されたものの

『グレート・ギャツビー』が
文学史に残る傑作として
世間に評価されるようになったのは
フィッツジェラルドの死後だったそうである。