PEN+今だから赤塚不二夫。

PEN+ 今だから赤塚不二夫

何よりも尊きものは友情である。
by 島地勝彦


この表紙、一体誰よ?

よく見れば
“今だから、赤塚不二夫”
とだけ書かれてる。

ってことで
ついつい立ち読みして
熟読してしまった次第(汗)

あ、本買わなくてゴメンナサイ。

さて、まずは生い立ちから。

赤塚不二夫は
満州事変4年後の1935年
6人兄弟の長男として
満州国で生まれている。

終戦間際、父親は
奉天鉄西消防署署長だったが
ソビエト連邦に連行され
軍事裁判にかけられて
4年間シベリアに抑留される。

その4年の間
母親と6人の兄弟にも
不幸が降りかかる。

日本への帰国前に
次女がジフテリアで亡くなる。

命からがら日本へ帰国したものの
余所者扱いで食べるものにも困り
すぐに三女も栄養失調で亡くなる。

わずか10歳すぎの
長男・赤塚不二夫にとって
さぞや地獄の日々だっただろう。

そんな中、手塚治虫の漫画
『ロストワールド』に出会って
漫画家になることを決意する。

赤塚不二夫にとって
マンガこそ地獄で仏だったのか、
まだ若干12歳ながら、
自分の描いた漫画を出版社へ
持ち込みしにいったそうだ。

18歳になって父親の口利きで
上京できた赤塚不二夫は
化学薬品工場に勤務しながら
『漫画少年』へ投稿を続ける。

その漫画が2歳年下だった
石ノ森章太郎の目に留まり
石ノ森が主宰する肉筆回覧誌
「墨汁一滴」の同人に参加。

その縁で1956年
石ノ森が借りていた
あのトキワ荘の隣の部屋に移り
貸本漫画家として数年間
下積み生活を続けるも

1962年
週刊少年サンデーで
「おそ松くん」

りぼんで
「ひみつのアッコちゃん」の
連載を開始できたことから
一躍人気漫画家の仲間入りが
できたそうである。

何度も何度も
挫折しそうになったらしいが
その度毎にトキワ壮の面々の
友情によって支えられ
苦難を乗り越えられたそうだ。

何よりも尊きものは友情である。
by 島地勝彦

ひょっとすると
ひみつのあっこちゃんは
まさに幼くして亡くなった
妹たちの分身だったのかもしれない。