マンガ『世界最終戦争論』石原莞爾と宮沢賢治。

マンガ 世界最終戦争論  石原莞爾と宮沢賢治 江川達也

マンガ最終戦争論 江川達也


太平洋戦争開戦の
最大の原因と言えば
紛うことなき1931年に起こった
「満州事変」と言えるだろう。

1931年9月18日
中華民国奉天郊外の柳条湖で
関東軍が南満鉄の線路を爆破し
それを中国軍の仕業に見せ掛け

わずか1万数千人ほどの兵力で
しかも僅か5カ月という短期間で
日本本土の3倍もの面積を持つ
満州全土を占領した大事件である。

その満州事変を計画し
実行にうつした首謀者が
当時、関東軍作戦主任参謀で
陸軍の異端児と言われた
石原莞爾(かんじ)大佐である。

がしかし、、、

本事変は明らかな謀略であり
もうひとりの首謀者・高級参謀
板垣征四郎とともに石原莞爾は
軍法会議によって処罰されなければ
ならなかった身にも拘わらず・・・

こともあろうか
満州事変の成果が認められ
関東軍司令官・本庄繁
関東軍高級参謀・板垣征四郎
石原莞爾の3人にはなんと叙勲が!?

お蔭で満州事変を真似した
親日傀儡政権の自治国家を
作ろうとする輩が陸軍に跋扈し
泥沼の日中戦争開戦の大きな要因
になったことは言うまでもなく。

但し、結果的に日本を
太平洋戦争敗戦に導いた
とんでもない男ではあるんだけど
どことなく憎めないのが不思議。

そして、その石原莞爾には
満州事変以外にももうひとつ
よく知られた逸話が存在する。

1936年2月26日に発生した
二・二六事件でのこと。

陸軍省の建物を包囲した
反乱軍の若手将校たちが
陸軍省参謀本部に登庁してきた
石原莞爾を入口で止めたところ
石原はこう怒鳴りつけたそうだ。

何が維新だ。
何も知らない下士官を巻き込んで陛下の軍隊を私するな。
維新をやりたかったら、自分たちだけでやれ!

この石原を殺したければ、直接貴様の手で殺せ!

また、庁内の執務室では
反乱軍の栗原安秀中尉に
ピストルを突きつけられ

石原大佐と我々では考えが違うところもあると思うのですが、昭和維新についてどんな考えをお持ちでしょうか?

と威嚇的に問われた時には・・・

俺にはよくわからん。
自分の考えは、軍備と国力を充実させればそれが維新になるというものだ。

こんなことは直ちにやめろ。
やめないと軍旗をもって討伐するぞ!

と、激高。

結果、石原の気迫に押され
栗原は引き金を引けなかったそうだ。

さらに226事件の真っ最中
陸軍省で遭遇した皇道派の
重鎮・荒木貞夫大将に対しては

ばか!お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ。

などと上官にも拘わらず罵倒。

なにを無礼な!上官に向かってばかとは軍規上許せん!

と、荒木が怒鳴りつけるも・・・

反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ!

と、石原が猛然と言い返し
危うく乱闘になりかけたそうだ。

幸いその場にいた
安井藤治東京警備軍参謀長が
止めに入って事なきを得たようだが。

その他には東條英機と衝突し
というか東条を貶しまくり
太平洋戦争開戦前の1941年3月
予備役へ編入され引退したのだが
終戦後の東京裁判では
病気療養中だったにも拘わらず
重要参考人として取調べを受け

こたびの戦争責任は自分にあると
堂々と潔く供述している。

但し、戦争犯罪者の中で
最も罪が重い人物は
原爆投下で無差別殺人を犯した
トルーマン大統領であるとも供述

さらに歴史を遡れば
鎖国していた江戸幕府に対して
執拗に開国を迫ったペリー総督が
張本人と供述したほど個性的な軍人であった。

少々話が長くなったが
そんな石原莞爾が
予備役にやられる直前の
1940年5月に講演した議題
『世界最終戦争論』を
江川達也氏がマンガ化して
紹介した著書を読了した次第。

どこまでが史実で
どこまでが石原莞爾の構想で
どこまでが江川氏の妄想なのか
微妙に分からない点があったが

とりあえず日本が
中国・韓国と衝突するのではなく
アジア人同志として結託し
アジアがひとつにまとまってから
アメリカと最終戦争をする。

そして、それに勝利
もしくは引き分けとし
世界をひとつにまとめ上げる
という構想を持っていたようだ。

今となっては
時既に遅しであるが
戦前戦中の時代
明確なヴィジョンも
意思統一もなされていなかった
軍部や政府において

石原莞爾だけが
しっかりと未来を見据えて
明確なヴィジョンを
持っていたことは
特筆すべきことと思われる。

出来ることなら
満州事変を起こす前に
『世界最終戦争論』を提唱し
東アジアの分断を避けてくれてれば
また違ったアジアの未来が
あったのではないかと思った次第。

因みに同誌によれば
石原莞爾は太平洋戦争敗戦後
山形県新庄市の公園に
3万人の観衆を集め

敗戦の原因は
国民道義の驚くべき低下にあり
日本国民7千万人すべてが
人の道を踏み外した
つまり、国民すべての
精神的堕落が原因と説いている。

また、敗戦後の日本の
とるべき安全保障策として
完全武装放棄を説いている。

アメリカの軍事力にも頼らず
日本国民の人道だけを頼りに
すべての武装国家と対峙していく

仮に侵略があった場合
丸裸で戦場に赴く覚悟をもつ
真の武装放棄を説いていたという。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

知らんかった。。。

伊勢神宮内宮の宇治橋を越えたところに松下幸之助が寄進した日本最強と呼ばれる茶室【神宮茶室】が建ってるんですが、春と秋の神楽祭(4月末と9月末)のときに茶室の庭園が一般無料公開されていたとは!?

松下幸之助が大工棟梁の中村外二に出した条件はたったひとつ。

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そのためか総工費は当時のお金で10億円になったとか。