2001年10月8日、小泉首相まさかの中国・盧溝橋電撃訪問を。

rokoukyo_koizumi

その時、歴史は動かなかった(涙)


本日10月8日と言えば、
もう忘れられた方がほとんどですが、
否、ほとんど誰も知りませんが、

今から15年前の2001年10月8日に
かの小泉純一郎元首相が
日中戦争の開戦となった場所
中国北京近郊の盧溝橋に電撃訪問し、
現職の総理大臣として初めて
中国国民の前で頭を垂れるという
歴史的な出来事があった日です。

rokokyo 盧溝橋事件

今年2016年5月27日、
オバマ米大統領が広島に訪問し、
広島記念公園で献花したことは
記憶に新しいところですが、

当時の中国にとって
日本の現役首相による盧溝橋訪問は
米大統領の初広島訪問に勝るとも
劣らない出来事であったことは
容易に想像がつくことかと思います。

前月の2001年9月11日に
米国で同時多発テロが発生した為、
日本ではほとんど報道されなかった
小泉首相の電撃訪問でしたが、

小泉純一郎首相が
北京近郊の盧溝橋と
中国人民抗日戦争記念館に訪問し、
以下のような哀悼の言葉を残し、
小泉首相らしく毅然とした態度で
中国国民に頭を垂れたのです。

 今日、私は、盧溝橋を訪れましたが、前から一度来たいと思っていました。私は歴史が好きで、いつも歴史書あるいは歴史に関する小説に興味があるので関心を持っていました。一度盧溝橋に行ってみたいなと思っていました。今日こうしてこの記念館も拝見させていただきまして、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。二度と戦争を起こしてはならないと、そういうことが戦争の惨禍によって倒れていった人の気持ちに応えることではないか、私共もそういう気持ちでこの日中関係を日中だけの友好平和のためではなく、アジアの平和、また世界の平和のためにも日中関係は大変大事な二国間関係だと思っています。

 21世紀になって、9月11日米国で発生したテロ攻撃、まったく新しい型の戦争状態と言っていい、信じられないような出来事が起こりました。この新しいテロ攻撃に対して、今世界がどのようにこのテロを撲滅するのか、抑止しなければならないかという時に、こうして中国を訪れ、これからの日中関係はもちろん、世界の中の国際社会の一員としてお互いどのようにテロ根絶のために協力できるかという話し合いが出来るのも大変大事なことではないかと思っています。

 過去の歴史をよく勉強することによって、人間というのは反省し、将来その反省を生かしていかなければならないと思っています。私共も過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけない、その反省から、戦後平和国家として日本は繁栄することができました。過去、日本は国際社会から孤立して、あの悲惨な戦争に突入してしまいました。戦後、国際協調こそが平和と繁栄の道だと、国際社会から孤立してはならないということが日本の国是となっています。

 日本はアメリカと戦争をしました。しかし、戦争をしたアメリカとは今、世界で最も強力な友好同盟関係を結んでおります。日本と中国も過去不幸な時期がございましたけれども、今後21世紀の将来に向かって、私は日本と中国との友好関係を今の日本とアメリカの友好関係のような強力な友好関係にしていけたらなと、そう心から思っております。日中友好発展は、単に日本と中国だけの間ではなくて、アジア全体、世界全体にとっても、大変大事な二国間関係だと思いまして、私も総理大臣として、これから日中友好に向けて全力を尽くしていきたいと思います。

外務省サイトより引用。

当時の中国共産党政府には
何を考えている理解しがたい
妖怪のような政治家しかおらず
小泉首相のように竹を割ったような
性格の政治家が皆無であった為、
一部の中国国民からも大変好評を
博したとも伝えられています。

koizumi_koutakumin

そして、同日の午後、
小泉首相は江沢民中国国家主席とも
短時間ながら日中首脳会談を行い、
日中友好ムードの兆しが流れたのです。

さらに同じ月の10月28日、
APEC首脳会議にて
再び小泉首相は江沢民主席と会談し、
懸案となっていた靖国参拝の件で
直接意見を交わし合う場もありました。

小泉首相は
「自分が靖国神社を参拝した目的は、
特定の人物を参拝することではなく、
心ならずも戦地に赴き、
戦場に斃れた人々に対し、
哀悼の意を表明し、
二度と戦争を起こしてはならい
との決意からである。」と述べ、

一方の江沢民さんは
「自分は、日本の
一部の軍国主義者が発動した
侵略戦争によって犠牲となった
一般人民とその軍国主義者とは
区別しなければならないと考えている。
そのためにも、総理が靖国神社に
行かれない方が良いと考える。」
と述べるだけに留めるも
残念ながら双方の溝を埋めることは
叶いませんでした。

そして、

その後の小泉首相の
5度に渡る靖国参拝によって
一時中国政府は首脳会談はもとより、
首相特使派遣すら受け入れないほど
態度を硬化させてしまいます。

個人的な意見を述べさせて頂ければ、
小泉首相の盧溝橋訪問後、
もう少し対応の仕方を変えていれば
中国版小泉劇場が見れたかもしれない、
中国国民を味方につけることが
出来たかもしれないと妄想すると
ちょっと残念な結果だったかなと
思わないでもありません。

2005年12月14日、
東アジアサミットにて
緊張高まる関係となる中、
中国・温家宝首相から
毛筆ペンを借りる小泉首相。

1951年9月8日、
サンフランシスコ平和条約調印にて
差し出されたペンを断り、
吉田茂首相が自分の万年筆を使って
サインした例には及びませんが、
それでも歴史的な瞬間と言っても
過言ではないのかなと。

日中の緊張緩和に向けて
小泉首相得意のユーモアで
演出したシーンではないでしょうか。

それに応えた温家宝首相も
なかなかチャーミングな政治家デス。

果たして日本と中国、話せば分かる!
そんな時代がいつか来るのかな。