徳川家康公遺言に懺悔する 。

岡崎城 okazaki castle 徳川家康生誕の地

家康公のイメージと言えば、
老獪な狸親父が一般的ですが、、、


4月上旬の岐阜城訪問の翌日、
家康公生誕の地として知られる
岡崎城も見学してきたんですが、

その岡崎城にある
徳川家康公遺言の碑とやらに
こんなことが書いてあって、
中高で教えられた日本史が
根底から覆った思いデス(苦笑)

「家康公遺言」

わが命旦夕に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず 億兆の民艱難することもあらんには たれにても其の任に変らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして万人その仁恵を蒙らばもとより 家康が本意にしていささかも うらみに思ふことなし

岡崎城 okazaki castle 徳川家康生誕の地

以下、現代語訳

私の命もそう長くはないが、将軍・秀忠が立派に政治を行ってくれてるので、今のところ天下が乱れるような心配はない。
しかし、将軍の政治が道から外れ、もし万人が苦労するようであれば、有無を言わさず政権は他に譲るべきである。
天下は一人のためにあるのではない。天下は万人のためにあるものだ。それ故にもし仮に政権が他の誰かに取られることがあったとしても、万人皆が幸せに暮らしていけるのであれば、それを私家康が恨みに思うなどということは決してない。

徳川家康公って
明治維新での幕府批判や
大河ドラマ等の影響もあってか、
歴史上の有名人の中では
最も嫌われている著名人の
ひとりに数えられてますが、

この遺言を読む限り
めちゃくちゃ人格者、
立派な偉人じゃないですか!

大変誤解しておりました。
家康公、どうかご容赦下さいませ。

 

 

 

 

 

□□□ 東雲乃囁 □□□□□□□□□□

『徳川実紀』によると、
先述した家康公の遺言は
外様大名向けの遺言であって、

第2代将軍・秀忠向けには
別の遺言が語られたと
言われているようですが、
果たして真実は如何に???