桜の季節に小野小町を想う。

小野小町(鈴木春信画)


さて、小野小町と言えば日本を代表する絶世の美女と今の時代に伝わっているが、いったい何を根拠に絶世の美女と伝わっているのか?

ちょっとその辺を調べてみたのだが、実は小野小町は、出自も不明な上、1枚の肖像画も残さず、さらに美しいとの当時の伝承(あとから創作された逸話は多いですが)すら残ってないのだ。

にも拘わらず絶世の美女とは不思議。

で、さらに深く調べたところ、そのきっかけを作ったのは小野小町より100年以上後に生まれた平安時代中期の貴族・紀貫之。小野小町が遺したとされるある和歌の調べのあまりの美しさに「小野小町は絶世の美人に違いない!」と紹介したのが始まりなんだとか。

その紀貫之が絶賛したという和歌がコチラ。

花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに

ご存じ百人一首9番目にも登場する誰もが一度は口ずさんだことのある有名な和歌だ。確かに美女が詠んでそうな雰囲気ではある。但し、小野小町が70代の頃に詠んだ歌だそうだが(苦笑)

因みにこの歌の意味はこんなイメージだ。

桜の花の色が春の長雨のせいで色褪せてしまったけど、私もいたずらに時を過ごしてるうちに齢を重ねてやつれてしまったようだわ。

もしくは・・・

桜の花びらはたとえ散っても色は変わらないわよ。私もいたずらに齢を重ねたけど、まだまだ燃えるような恋ができるわよ。

さ~て、どっちを小野小町は詠んだんだろ?笑

PS.

もう少し詳しく紹介すると、紀貫之が選者として加わった古今和歌集の序文に代表的な歌人6人が六歌仙(僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主)として紹介されている。

その序文には紀貫之が執筆したとされる古今集仮名序と紀淑望が執筆したとされる古今集真名序があり、それぞれ小野小町をこう評している。

古今集仮名序(紀貫之)
をののこまちは、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるやうにてつよからず。いはばよきをうなのなやめる所あるににたり。つよからぬはをうなのうたなればなるべし。

古今集真名序(紀淑望)
小野の小町が歌は、古の衣通姫の流なり。然れども、艶にして気力無し。病める婦の花粉を着けたるがごとし。

古今和歌集には小野小町の歌は18首収められていることから、「花の色は・・・」の一首だけではなく、複数の歌を勘案して本朝三美人のひとり衣通姫と並べられたのだと思う。また、紀貫之だけでなく紀淑望にも評価されていたというのが正しいのかもしれない。

それにしても、この評価だけで千年以上日本一の美女として君臨できるとは、小野小町もさそがし草葉の陰で驚いているに違いない。