13・北条義時公墓所。

北条義時墓所 法華堂

2022.09.06(火) 13:00~


先月初め鎌倉に訪問して以来
またしても間を空けてしまった。
相変わらず亀の歩みである。

さて、大河ドラマ館を鑑賞し
鶴岡八幡宮 大銀杏の様子を見て
源頼朝公墓所に再訪した後

源頼朝公の墓所から
50mほど東側に位置する
「鎌倉殿の13人」の主人公
北条義時公の墓所に初めて参拝。

 

頼朝公の墓所と同様
山の中腹に墓所はあるため
ご覧の石の階段を昇っていく。

北条義時墓所 法華堂

但し、墓所とはいっても
尼将軍こと北条政子によって
建立されたといわれる
法華堂の姿は跡形もなく
ご覧のように遺構を残すのみ。

合 掌 。

さて、義時公の墓所近くには
後世に多大な影響を及ぼす
2つの名家の家祖が眠っている。

画像奥の右側に
石段が2つ並んでいるのだが
その右側の石段の上に建つのは・・・

島津忠久墓所

薩摩・島津氏の家祖・島津忠久公墓所

1779年、薩摩藩8代・島津重豪公が
荒れ果てていた源頼朝公の墓所を
整備した際に家祖の忠久公の墓所を
別の場所よりこの地に移設したとのこと。

島津家の伝承によると忠久公は
頼朝公とその側室であった
比企能員の妹・丹後局の子とされている。
但し、その確証は明らかでない。

続いて忠久公墓所の石段の
左隣に見える石段の上に建つのは・・・

大江広元・毛利季光墓所

【右】大江広元公墓所
【左】毛利季光公墓所

「鎌倉殿の13人」でも
名優・栗原英雄さん演じる
肝となる役どころ大江広元公と
その四男・毛利季光公の墓所だ。

長州・毛利家の祖とされる
大江広元公の墓所は1823年に
長州藩10代・毛利斉熙により建立されたそう。

そして、毛利家の家祖である
四男・季光公の墓所は同じく1823年
長州藩10代・毛利斉熙により
鶴岡八幡宮西の鶯ヶ谷に建立されたが
1921年にこの地に移設されたとのこと。

毛利季光公は
北条と三浦氏が争った
1247年の宝治合戦において
妻の実家だった三浦氏についた為
嫡男らとともに自刃することになった。

しかし、越後国にいた季光公の
四男・経光の子孫が残ったとされ
その子孫から毛利元就が出たという。

因みに毛利季光公は
父・大江広元公の所領だった
相模国毛利荘(現在の厚木市)を
引き継いだことから毛利姓を名乗ったそうだ。

さて、以上の通り
明治維新を起こした2つの雄藩
島津と毛利(大江)の祖先たちの墓が
幕末以前の江戸時代後期に偶然並んで建立された。

果たして何の因果だろうか。

さて、もうひとつ・・・

三浦泰村一族やぐら

義時公法華堂の真裏にあるのが
宝治合戦(1247年7月8日)で
北条時頼・安達景盛軍に敗北し
頼朝公の法華堂で自刃したという
三浦泰村・光村らの一族約500人を
葬ったとされるご覧のやぐらがある。

合 掌 。

北条家が滅亡した
東勝寺跡の山側にある
北条高時腹切りやぐらなど
鎌倉にはこういったやぐらが多い。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

まだ31歳だというのに
肌艶の状態が良くないゆきりん。

でも、メイク後にはしっかりアイドル顔に(笑)

#柏木由紀