我ら『ストップ!!ひばりくん!』世代。

ストップ!!ひばりくん!江口寿史 stophibarikun

35年前にタイムスリップ。


週刊少年ジャンプから

『ストップ!!ひばりくん!』が

生まれた1981年に

我々は三重県の某中学を卒業し、

2016年1月2日菰野中学同窓会 1981年卒 20160102komochu

それから35年後の2016年1月2日、

再びこうやって再会出来た。

ストップ!!ひばりくん!江口寿史 stop_hibarichan (1)

あの頃考えてた35年後は

月旅行は当たり前!

な、はずだったけど、

現実の35年後は、、、

スマホ持ってるだけだった。

全然進歩してねえじゃん(苦笑)

PS.

昨日の小室直樹先生の話は、
1972年日中国交正常化締結に
臨んだ際の角栄氏の心境でした。

がしかし、

1956年に日ソ共同宣言して
国交は回復したものの
北方領土返還問題で
煮ても焼いても食えない
フルシチョフ率いるソ連に対して
41歳の田中角栄氏は辛辣でした。

1959年に来日した
ソ連共産党政治局の密使に対して
こんな言葉を投げています。

日本人の大半は
ソ連が好きじゃない。なぜ嫌いか。

日本は第二次世界大戦の終り頃、
沖縄がやられて、原爆を二発、
広島と長崎に落とされて、
KO寸前だった。

リングの外にいたソ連から
タオルの10枚も20枚も
投げ込んで欲しかった時に、
あんたの国は日ソ不可侵条約を
破り捨てて雪崩をうって
ソ満国境に攻め込んできた。

それで軍人も含めて
大勢の在満邦人が
地獄の火の中を逃げ回る。
逃げ切れないで捕まった人が
何十万とシベリアへ
連れて行かれて死んでいった。

日本人はこの事実を忘れない。
その親、子供、血族に
つながる者が生きている限り、
この恨みを忘れない。

2007年にメルケル首相との
首脳会談中にプーチンは
メルケルさんの苦手な犬を
わざと乱入させたことを
以前コチラに書きましたが、

日ソ共同宣言締結前の
河野一郎農相と
フルシチョフとの会談の際も、
フルシチョフが先の鋭く尖った
ペーパーナイフを手に持って
机をたたきながら威嚇するように
譲歩を迫ってきたとか。

ま、こんな感じで
ロシアの恫喝外交ネタは
枚挙に暇なしなわけですが、
「角栄さん、よう言うてくれた!」
って感じでございます。

それにしても、
プーチンにしろ
メドベージェフにしろ、
恫喝外交が基本政策の
チンピラみたいな政治家しか、
ロシアのトップに上がれない
ってのはどうよ?って感じですが。