歴史探訪:江戸城って何処にあったの?

江戸城天守閣

【出典元】大江戸歴史散歩を楽しむ会

『 江戸城って東京のどこにあったの? 』


この質問に答えられない人が
意外に多くてびっくりデス!

ゆとり教育のなせる技か?
いえアラフィフの方でも自信なさげ。

ってことで、
ちと江戸城に関してのお勉強タイムです。

まずコチラが江戸城の
天守閣1/84の模型デス。

東京国際フォーラム
展示されていたものですが
大阪城に負けず劣らずの規模で
いっそのこと再築して東京観光の
目玉にしてはどうでしょうか?
と、提案したくなります(滝汗)

江戸城と皇居の対比地図

こちらの地図をクリックしてとくとご覧下さいませ。

はい、もちろんですが、
江戸城は現在の皇居にあったのですね。

江戸城

で、特に江戸城本丸や二の丸といった御殿は
現在の『皇居東御苑』と呼ばれる位置にありまして
その跡地は風光明媚な公園として保存されていて
誰でも無料で入場できるようになっているんです。

ま、ほとんど外人さんしかいませんが(滝汗)

以後お見知りおきを。

皇居 江戸城跡地 観光ガイド地図

さて、まずは『皇居東御苑』の全体図がこちら。

とても大きな敷地ですよね?

でも、これで江戸城全体の1/3程度なのです。
これ以外に西の丸や北の丸、吹上御所などがあるのですね。

皇居 江戸城 大手門 

で、江戸城跡地にはどうやって行けばいいの?

皇居の東側にある大手門、平河門、北桔橋門の
3つの門のから入場可能になっています。

因みに上の画は東京駅から一番近い大手門デス。

とにかく中に入ってみましょう。

江戸城 同心番所

大手門から中に入って最初に現れる同心番所。

同心とは、江戸幕府の
諸奉行・所司代・城代・大番頭などの配下に属し、
与力の下にあって庶務・警備の仕事をしていた
下級役人を総称したものだそうです。

皇居 江戸城 百人番所

続いては百人番所。

本丸と二の丸へ通じる中之門前に設けられていて
若年寄支配の鉄砲百人組と呼ばれた
甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が
それぞれ昼夜交代でここに詰めていたそうです。

ま、そんなわけで百人番所ってネーミングなんですね。

皇居 江戸城 大番所

そして、中之門を越えて現れる3つ目の番所が大番所。

以上、昔ながらの3つの番所を見ることができます。

皇居 江戸城 本丸御殿

そして、大番所を過ぎて長い坂を昇りきると現れるのが
ご覧の芝生が広がる本丸御殿跡地デス。

江戸城本丸御殿

【出典元】東京都立図書館

本丸御殿はこんな巨大なお屋敷だったんですね。

徳川幕府の力が如何に強大だったがよく分かります。

江戸城本丸御殿松の大廊下跡

忠臣蔵の「殿中でござる!」で有名な
「松の大廊下」の跡地もちゃんと残っています。

ここで赤穂藩の藩主であった浅野内匠頭が
吉良上野介に斬りかかったのですね。

またその話は追って。

皇居 江戸城 天守台

その本丸御殿の後ろに今も存在するのが天守台。

三代将軍徳川家光が大阪城に並ぶ巨大な天守閣を完成させるも
四代将軍家綱の代の明暦3年(1657年)1月の大火(振袖火事)で
城下の多くの建物が焼失していまい、本丸御殿、天守閣も
その火災旋風で焼失したそうです。

因みに再建も検討されましたが、
三代将軍家光の弟でもあり、
四代将軍家綱の伯父でもあった会津藩初代藩主 保科正之が
「天守閣は時代遅れであり、城下の復興を優先すべきである」
との提言をしたことで、
天守閣は再建されず、現在に至っています。

皇居 江戸城 天守台 頂上

現在も残る天守台の上の画。

見学者は外人さんばっかりです(苦笑)

皇居 江戸城 展望台

白鳥濠の上にある展望台から

丸の内や大手町の摩天楼を見たら
家康さんもさぞかし驚いたことでしょうね。

皇居 江戸城 汐見坂下

汐見坂の下

江戸城は石垣がほんと綺麗デス。

皇居 江戸城 平河門

平河門の内側

平河門からは誰も入ってこないようです(苦笑)

皇居 江戸城 諏訪の茶屋

二の丸付近にある諏訪の茶屋

吹上御所にあったものを明治45年に移設したそうです。

皇居 江戸城 二の丸庭園

二の丸庭園

皇居 江戸城 皇居正門石橋旧飾電燈

皇居正門石橋旧飾電燈

皇居 江戸城

白鳥濠横の道から百人番所を望む。

皇居 江戸城 三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館

皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの
美術品類が多数展示されていて
無料で見学することができます。

皇居 江戸城 大手門裏

最後に大手門の裏から大手町を望んだ画

以上、江戸城跡地のご紹介でした。

東京駅近くにお寄りの際は
ぜひ一度訪問されては如何でしょうか?

将軍様になった気分を味わえますよ(^O^)