グアムの海ってこんな綺麗でしたっけ?

guam グアムの海

ホテル・ニッコー・グアムより


今冬に大学時代の悪友と
陸で貯まったマイレージを使って
グアム旅行を画策しているが、

はて、グアムの海って
こんなに青くて綺麗だったかな?

前回グアムに訪問したのは
20年以上前だったので、
すっかり記憶が遠くなっているが、
確かこんな綺麗ではなかったはず。

PS.

さて、グアムと言えば、
太平洋戦争の残留日本兵として
時の人となった横井庄一さんを
思い浮かべないわけにはいかない。

1944年、
日本軍が占領していた
グアム島の歩兵第38連隊、
陸軍伍長として配属されるも
わずか3カ月後には
米軍からの猛反撃を受け、
グアムは制圧されてしまう。

横井さんら部隊は
少人数に分かれ、
志知さんと中畠さんの3人で
ジャングルの中に身を隠し、
日本からの応援軍が来るのを
ひたすら待つことになるのだが、
1945年8月に終戦を迎えても
投降勧告のビラや放送を
信じることはなかった。

やがて離れて生活していた
志知さんと中畠さんが
亡くなっているのを見届けるも
そのままジャングルの中で
独り戦い続けていたのである。

そして、

グアムへの配属から28年後、
空腹で衰弱していたところを
グアムの村人に保護され、
1972年2月2日、満57歳の齢で
志知・中畠さんの遺骨とともに
漸く日本に帰還できたのである。

恥ずかしながら生きながらえて、
帰って参りました。

テレビでこの言葉を聴いのは、
僕が小学校入学間近の頃なのだが、
横井さんを日本兵の亡霊か
何かと勘違いしていたような
そんな曖昧な記憶が残っている。

その後、横井さんは
子供向けTVのサバイバル番組に
出演するなど、グアム潜伏時代の
経験を活かした活動をされており、
こちらの横井さんのほうが
僕の記憶に焼き付いている。

そして、1997年9月22日、
時代に翻弄され続けた旧日本兵
横井さんは82歳という高齢で
天寿を全うされたのだった。

グアムには、横井さんが
28年間の潜伏生活を送っていた
洞穴の一つを再現したという
横井ケーブが今も残されている。

因みにグアム島の面積は
兵庫県淡路島より少し小さい
程度の大きさである。