2026.02.03 tue 12:30
京都御所の最終章。
清涼殿を見学したあとは
2度目のところばかりなので
一気に駆け足で紹介していくヨ。
さ、御池庭が見えてきた。
左に小御所。
新暦1868年1月3日
「王政復古の大号令」が発せられた日の夜
総裁・議定・参与の三職による最初の国政会議「小御所会議」が開催された場所ね。
その小御所会議では一時、山内容堂らの主導により
徳川慶喜に対する寛容な処置に意見が傾きつつあったようだが
岩倉具視や西郷隆盛、大久保利通ら武力討伐派が巻き返し、徳川将軍家の辞官納地が決定。
つまり、官職と領地の没収だ。
但し、それでは慶喜の面目が立たないことから
松平春嶽・徳川慶勝の二人が慶喜に対し
自発的に辞官納地するよう伝えるという形式をとることが最終的に決定されたという。
つづいて蹴鞠の庭。
その先に御学問所。
1867年12月9日「王政復古の大号令」が発せられた場所ネ。
薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の5藩の兵が御所9門を固め
摂政二条斉敬をはじめとする親幕府的な公卿の御所への立ち入りを禁止した後
明治天皇臨御の下、此処御所内学問所において「王政復古の大号令」が発せられたそうな。
京都御所を守備していた会津藩や桑名藩の兵が
なぜいとも簡単に9門から立ち退いてしまったのか
なぜ事前に徳川派以外の公卿を排除していなかったのか
しかもそれらのクーデターが実行されることは、予め慶喜の耳にも入っていたと聞く。。。
やっぱり慶喜さんは尊王な超平和主義者だったというしか。。。
そして、御池庭。
はあ、住みたい。。。笑
剣璽の間の白梅
剣璽の間の紅梅
剣璽の間とは文字通り「剣(草薙剣の形代)」と
「璽(八尺瓊勾玉)」が安置されていた建物ネ。
御三間
主に儀式や内々の行事が行われた建物。
こんなに豪華な障壁画のある部屋なのだ。
上段の間: 「朝賀の図」住吉弘貫筆
中段の間: 「賀茂祭群議の図」駒井孝礼筆
下段の間: 「駒引の図」岸誠筆
一度でいいから殿上してみたい。
御三間の杉戸絵Ⅰ
御三間の杉戸絵Ⅱ
以上、京都御所素晴らしすぎる!
はあ、毎日でも散歩しにきたいところやね。
さてと、同志社大学編につづく。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
実はミロークが大好きなんよね。
#ワンピース















