歴史探訪:半沢直樹もびっくりな鎌倉幕府第三代征夷大将軍 源実朝暗殺事件と大銀杏。

鎌倉 鶴岡八幡宮

ひっさしぶりの歴史探訪デス。


さて、1219年(建保7年)1月27日
ここ鎌倉にある鶴岡八幡宮にて行われた
鎌倉幕府第三代征夷大将軍 源実朝の
右大臣拝賀式の際に歴史的な暗殺事件が
起こったことはご存じでしょうか?

鎌倉 鶴岡八幡宮大銀杏 (4)

源実朝が上宮での神拝を終えて退出の途中
階段横に生えてい大銀杏の陰に隠れ
覆面法師の姿に変装していた実朝の甥にあたる
公暁(第二代将軍頼家の次男・18歳)が
この大階段の十三段目辺りに降りてきた実朝を狙って
「親の敵はかく討つぞ」と叫びながら
実朝の頭を斬りつけ、その首を打ち落としたとか。

鎌倉 鶴岡八幡宮大銀杏 (3)

この暗殺事件当時、実朝はまだ27歳。

源氏の政権はわずか三代で幕を閉じ
北条氏の執権政治の時代へと引き継がれます。

そして、この大銀杏はこの事件がきっかけとなり
「隠れ銀杏」と呼ばれることになったそうで。

ま、あくまでも「隠れ銀杏」は伝説だそうですが。

 

何故公暁が暗殺を企てたのか?

18歳で二代将軍となった公暁の実父 源頼家が
権力闘争で対立していた
弟・実朝を支持する北条氏によって
わずか3年で将軍職を剥奪されることとなり
さらに頼家は伊豆国修禅寺に幽閉されたのち
その北条氏らの手によって
21歳の若さで暗殺されます。

それから15年後
19歳に成長した息子の公暁は
半沢直樹に勝るとも劣らぬ怨恨から
父頼家の仇を討つべく
叔父実朝を暗殺したわけデス。

因みに実朝暗殺後
公暁は北条義時の追手によって
乳母夫の三浦義村宅前にて
討ち取られてしまいます。

鎌倉 鶴岡八番禺大銀杏 (1)

実はこの公暁が隠れていたと
伝説の残る大銀杏ですが、
3年前の2010年3月10日未明
強風によりまさかの倒壊
根元だけがすぐ横に移されて
このような哀れな姿に(涙)

鎌倉 鶴岡八幡宮大銀杏 (2)

元の大銀杏があった場所には
ご覧の原木の苗木が植えられ
数百年後、再び大銀杏に成長するべく
鎌倉の人たちによって
暖かく見守られているそうデス。

鎌倉 鶴岡八幡宮在りし日の大銀杏

【 source 】wikipedia

こちらの画像が在りし日の大銀杏。

歴史を刻んできただけに残念ですね。

ぜひ鶴岡八幡宮へ参拝した際は
この大銀杏の苗木もお見逃しなく。

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