鎌倉・葛原岡神社。
時は南北朝時代幕開けの少し前。
1318年に即位した後醍醐天皇の親政下において日野資朝卿とともに楠木正成らを説き伏せ鎌倉幕府討幕を計画したとされたのが朝臣・日野俊基卿。
討幕容疑の掛かった1324年の正中の変では無罪釈放されるも、1331年に発覚した討幕計画・元弘の乱においては六波羅探題の手の者により格闘の末、御所内で捕らえられ、惜しくも此処鎌倉の化粧坂上にある葛原ヶ丘の地で処刑される。
しかしながら、俊基卿の意志は楠木正成をはじめとする地方豪族らによって引き継がれ、1333年5月22日の鎌倉幕府滅亡に繋がる。
それから553年後の明治17年、勅旨をもって従三位が追贈され、同20年に最期の地となった葛原ヶ岡に日野俊基卿を御祭神する葛原岡神社が創建されることとなった。
本殿左側にある日野俊基卿終戦の地。
葛原岡神社の南側にある日野俊基卿の墓所。
辞世の句:
秋を待たで 葛原岡に 消える身の 露のうらみや 世に残るらむ
辞世の詩:
古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清
(古来の一句 死も無し生も無し 万里雲尽きて 長江水清し)
『古来より「死もなく生もない」という言葉がある。自分も精一杯頑張ったが、残念ながら、万里の果てに雲が尽きる様に、今は万策尽き果て、この様な結末となったが、理想の為に力尽きたのだから、生や死はもはや問題ではなく、少しの恨みもない。今は、長江の水が清らかな如く、自分の心は一点のけがれもなく、さわやかである。』
合掌
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
大河ドラマ「太平記」では、榎木孝明さんが日野俊基卿を演じてられました。