このイケメン軍人は一体誰でしょ?

Winston_Churchill_1874_-_1965_1895

ほんのり面影はあるんですよ。

僅かにほんのりですが。。。苦笑


さて、冒頭の画像は、
その英国のイケメン政治家が
1895年に撮影されたものだそうで、
当時20歳で軍人だったそうデス。

美人な母・ジャネットに似た
ご覧の通りの美青年に育ち、
しかも生まれも名家のサラブレッド。

祖父はアイルランド総督で、
父・ランドルフ卿は、
保守党の政治家でありました。

但し、学校の成績は芳しくなく、
結局大学に進学することもできず
18歳の時、陸軍士官学校に入学。

その後、冒頭の画像が撮影された
1895年にスペイン領キューバで
独立のための反乱が発生し、

陸軍士官学校より
2ヶ月半の長期休暇をもらって、
スペイン軍とともに従軍し、
初めての実戦を経験します。

トレードマークとなった
葉巻を覚えたのもこの頃だそう。

英領インド国境近くでの
パシュトゥーン人の反乱、
エチオピアに隣接する
マフディー国家への侵攻に参戦、
その都度モーニング・ポスト紙らの
新聞社と特派員契約を結びながら、
自身の体験を小説化しています。

この頃から文才はあった模様で、
文筆業での生計が立ち始めた為、
1899年に早々と軍を除隊し、
既に亡くなっていた父の跡を継ぎ、
政治家になることを志します。

しかし、庶民院議員選挙に
保守党候補として出馬するも
敢え無く落選。。。。。涙

政治家浪人となったその年、
今度は南アフリカで起こった
第二次ボーア戦争に
モーニング・ポスト紙の記者として
再び従軍することになったのですが、
乗車していた装甲列車が
ボーア人の攻撃を受けた結果、
敵の捕虜となってしまいます。

がしかし、

元軍人であったことから
民間人に偽装したとして
下手をすれば戦争法規違反の罪で
銃殺される可能性も出てきた為、

深夜、便所の窓から脱走し、
伝手を頼って戦地を数日間彷徨い、
ポルトガル領モザンビークにあった
ロレンソ・マルケスの英国領事館に
命からがらたどりついて
何とか脱走に成功したのです。

この脱走劇の間、
当の本人は新聞報道などで
捕虜収容所を脱走したが、
再逮捕されて銃殺されたという
噂が流れていたため、

この脱走劇の顛末は
戦意高揚のいい英雄譚となり、
一躍時の人となったことで、
幸運なことに政治家としての
大きなステップとなったのデス。

そして、その人物こそが・・・

Sir Winston S. Churchill ウィンストン・チャーチル

ウィンストン・チャーチル

その後、政治家として
何度も挫折を味わいながらも
第二次世界大戦の真っ只中、
ドイツに対しての弱腰外交で
失敗したチェンバレンの跡を受けて、
1940年、65歳で英国首相に就任し、
ドイツに徹底抗戦することを宣言。

大英帝国絶体絶命のピンチの中、
モンロー主義で干渉を嫌がる
米国のルーズベルト大統領を
あの手この手を使って
大戦に引きずり出そうとし、
日本の真珠湾攻撃をきっかけに
米国を味方につけることに成功。

1944年6月6日、
アイゼンハワー率いる米英軍が
ノルマンディー上陸作戦に成功、
形勢を一気に逆転させたことで、
第二次世界大戦の勝利を手にした
偉大なる英国の政治家デス。

上の画像は冒頭の画像と比べ、
相当容姿に年季が入ってますが、
狸にならざるを得ない外交交渉を
幾度も重ねなければならなかった為、
それも仕方のないことかなと。

がしかし、

そのチャーチルでさえ、
アジア・アフリカへの人種差別は
相当なレベルであったらしく、

1941年8月、
米ルーズベルト大統領と
英チャーチル首相が共同宣言し、
人権の尊重が謳われた
「大西洋憲章」において

チャーチルはその適応範囲を
アジア・アフリカの植民地に
及ばせないとすることに
やたら固執していたことも
かような風貌に変貌させてしまった
要因のひとつかもしれません。

当時の知識レベル、
文化レベルの差や違いからすれば
仕方のないことかもしれませんが。

Winston-Churchill ウィンストン・チャーチル

さて、以前にも同ブログに
書いたことの繰り返しになりますが、
チャーチルと言えば、
この話が印象的で忘れられません。

島地勝彦氏著書の「お洒落極道
第12話にある「身だしなみこそ
本物の紳士を創る」の中で、

1805年に創業した
世界最古の理髪店として
ギネスブックにも認定されている
トゥルフィット&ヒル」が
紹介されているんですが、
そのくだりがとても面白かったので
再び抜粋させて頂きます。

そのトゥルフィット&ヒルの顧客に
かつて英国首相のチャーチルと
英国陸軍参謀総長のバーナード・
ロー・モントゴメリー子爵がいた。

実はこの二人、
誰もが認める犬猿の仲で、

政治家にも拘わらず
自由奔放に振る舞う
チャーチル首相に対して、
モントゴメリーがやっかんだのか、
以下のように吠えたそう。

「私は一切酒を飲まない。
シガーも吸わない。
とてもよく眠る。
これこそわたしが
100%健康でいられる秘訣である。」

対して宿敵チャーチルは、
以下のようにやり返す。

「私は朝から
大いにシャンパンを飲む。
次から次へと
ひっきりなしに葉巻を吸う。
しかも少ししか眠らない。
これこそわたしが
200%健康でいられる秘訣である。」

その結果、
モントゴメリーの88歳に対し、
チャーチルは90歳まで長生きし、
僅差でチャーチルの勝利に終わる。

ま、チャーチル首相の
メタボっぷりから見ても
ある意味健康法なんてどれも
眉唾モノなのかもしれませんね(汗)

因みに著者の島地勝彦氏の目標は
死ぬまで酒と葉巻を止めなかった
英ウィンストン・チャーチル元首相の
満90歳の寿命を、1歳上回った91歳で
天寿を全うすることだそうデス。

そして、
あの世でチャーチル元首相に

「閣下と同じように
シャンパンも浴びるほど飲み、
葉巻もケツからヤニが出るほど愉しみ、
歴史書を濫読し、それでもあなたより
1年長生きして参りました。」

と自慢してやりたいそうデス(笑)