2020.11.22(日)14:00~
聖護院門跡に続いては幕末の時代、京都守護職・会津藩本陣のあった場所として知られる金戒光明寺へ。がしかし、まさかの事前予約必須で涙の撤兵。
そこで代わりに訪れたのが、この小堀遠州作庭の特別名勝「鶴亀の庭」で知られる南禅寺塔頭の金地院。
この「鶴亀の庭」、派手さはないものの枯れることがない常緑樹を中心にすることで、江戸幕府の安泰を願っているそうな。
画像の数が少なくて恐縮ですが、さすが徳川家康・秀忠政権の下、寺院諸法度・武家諸法度・禁中並公家諸法度の三法を起草し、「黒衣の宰相」と異名をとった以心崇伝こと金地院崇伝の居寺だけあってラグジュアリー。
因みに豊臣家を陥れた方広寺鐘銘事件にて「国家安康」「君臣豊楽」のいちゃもんをつけたのも金地院崇伝、ホント恐ろしく頭の回転の速い方(苦笑)
そして、金地院内に建立されているのこの東照宮。
徳川家康の遺言「(遺体は)久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て後下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし。京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし」にもある金地院の小堂がまさにこの東照宮デス。
さて、最後に開山堂なる建物にある金地院数伝木像に合掌してお別れ。
今回タイミング悪く特別拝観叶いませんでしたが、狩野探幽の指揮のもと狩野尚信や信政によって描かれた障壁画や長谷川等伯筆による『猿猴捉月図』も見逃せません。次回再訪確定デス。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
元気な京女55歳。
見倣おっと(笑)
@mayu_min333