厭・徳川菩提寺 大樹寺。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

2023.08.10(木)12:00


盆 休 み 。

高校2年の同窓会参加のため
8年ぶりに故郷・三重に帰省した。

で、折角なのでとその道中
愛知のいくつかのスポットにも
寄り道してみたのでさくっとレポートしたい。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

まず最初に寄り道したのは
《どうする家康》でも舞台となった
徳川家菩提寺として知られる此処

大 樹 寺 。

家康公生誕の地・岡崎城から
北に3kmほどに位置しており
最寄駅の大門駅より徒歩約10分。

さて、ここで不幸。

途中岡崎駅のロッカーで
スーツケースを預けるつもりが
どこもかしこも空きがない!?

仕方なく炎天下の中
スーツケースを引っ張って
大樹寺まで往復する羽目に(涙)

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

汗をかきかき
最後の坂を上り切って
やっと大樹寺の三門に到着。

3代将軍徳川家光公が
建立したとされる三門は
思いのほか巨大で立派
さすが徳川将軍家菩提寺だ。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

三門を裏から見た画。

三門に登ることが出来れば
南側に岡崎城が見えたんかな?

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

さ、いよいよ本堂にて参拝。

もちろん願いはひとつ
大谷さんの大活躍だ(笑)

ところで、大樹寺の見所と言えばこのふたつ。

ひとつは・・・

松平親氏を始祖とする
三河松平家8代と
徳川慶喜(15代)を除く
徳川14代将軍たちの位牌だ。

特に14代将軍たちの位牌は
身長に合わせた高さなのでは?
と言われているが定かではない。

残念ながら本堂内は撮影禁止のため
画像でお見せすることができないのが残念。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

そして、もうひとつの見所は・・・

幕末の京狩野派絵師
冷泉為恭が描いたとされる
49面もの大方丈障壁画だ。

なにやら突貫で
描かれたということもあり
雑な部分も見受けられるが
狩野派に加えて大和絵の技術も
コンビネーションされ
見事な出来栄えであったと思う。

なお、冷泉為恭といえば
司馬遼太郎の短編小説《幕末》の
「冷泉斬り」にも書かれている通り
尊王攘夷派の獅子たちの手によって
天理の地にて残忍な最期を迎える悲劇の絵師でもある。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

鐘楼

コチラも三代家光の建立。

普段使用されることなく
除夜の鐘の際にだけ撞かれるとか。

愛知県岡崎市 松平家・徳川家菩提寺 大樹寺

大樹寺歴代住職の墓地。

左手前が大樹寺の13代住職
登誉天室上人の墓だったかな。

登誉天室上人といえば
桶狭間の戦いを経て
大樹寺に逃れてきた家康公に
後に家康の旗印となるこの言葉を授けている。

厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)

意味:穢れたこの世を離れ、浄土に往生することを願い求める

当時17歳だった家康公が
どう解釈したかは謎であるが。。。

※松平八代墓所は不覚にも見落とした(涙)

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

NHK映像の世紀
バタフライエフェクトの
プーチンとゼレンスキー ロシアとウクライナの100年を鑑賞。

ウクライナに対する
プーチンの憎悪は
常軌を逸してるとしか言いようがない。

晩年、朝鮮半島に出兵し
豊臣秀次の近親者までも葬った
豊臣秀吉を彷彿させるようだ。