木漏れ日が外宮の魅力デス。
さて、vol.2の夫婦岩で身を清めた後、
夫婦岩東口から参宮バスに乗って
約30分揺られて向かった先は・・・
おっと雰囲気でてきましたねな、、、
伊勢神宮の外宮こと豊受大神宮。
因みにバスの乗車料金は420円。
昨年参拝時のコチラのレポートの
繰り返しになってしますが、
伊勢神宮はその正式名称を
「神宮(じんぐう)」と言いまして、
豊受大御神(とようけおおみかみ)が
御祭神のこの「外宮(豊受大神宮)」と
国家の最高神とされる天照大御神が
御祭神の「内宮(皇大神宮)」の
2つの正宮にて構成されているんデス。
※広義では別宮など伊勢に点在する
125の神社の総称とも言われます。
で、豊受大神宮ですが、
御祭神である豊受大御神は
天照大御神の姪っ子にあたり、
御鎮座が第21代の雄略天皇22年、
西暦で言いますと478年頃に
建立されています。
因みに内宮は11代の垂仁天皇26年、
西暦紀元前3年頃に建立されました。
そこで疑問となるのが、
内宮より先に外宮を参拝する理由。
昔からの仕来りと言ってしまえば
簡単な話ですが、蘇れ日本人の会の
藤原大士さんがとても分かりやすく
説明されてましたので、コチラの
ブログをどうぞ参照下さいませ。
古事記で最初に出現した神様、
天御中主神様に関わりがあるとか。
(アメノミナカヌシノカミ)
定かではないですがご参考までに。
さ、蘊蓄が終わったところで、
いよいよ外宮(豊受大神宮)の中へ。
まずは手水舎で清めます。
外宮の魅力はこの木漏れ日デス。
陽が直接当たる場所が少ないので
お肌にとっても優しいのですネ。
そして、最初に賑わってるのが、、、
コチラの三ツ石。
この三ツ石の上に手をかざすと
温もりを感じると言われている
パワースポットなんデスが、
実際は式年遷宮のお祓いを
行う尊い場所なので
手をかざすのではなく、
手を合わせるほうが正解デス。
そして、その三ツ石の前辺りに
遷宮前の旧正宮のあった古殿地、
向こう側に現在の正宮が見えます。
こちらが昨年10月5日の遷宮前に
正宮として存在していた古殿地デス。
つまり、昨年5月にお邪魔した時は
式年遷宮以前なので、
こちらに参拝したってわけですね。
そして、こちらが現在の正宮デス。
内宮と比べて参拝客も少なく、
ゆったり参拝することが出来ますよ。
別宮 風宮(かぜのみや)
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸辺命(しなとべのみこと)
以上の2つの御祭神を祀っていますが、
元々は杉の木の元に坐した
小さな社だったそうデス。
鎌倉時代の元寇の襲来の際に
神風によって日本を守ったことから
1293年に別宮に加列されたとか。
別宮 土宮(つちのみや)
地主の神である大土乃御祖神
(おおつちのみおやのかみ)を
祀っているとされています。
別宮 多賀宮(たかのみや)
御祭神は豊受大御神荒御魂
(とようけのおおみかみのあらみたま)
外宮が建立された西暦478年に
同時に建立されたとされることから
他の別宮よりも格式高く、
皇大神宮の荒祭宮と同様に
外宮の第一別宮として特別な待遇を
受けてきた模様デス。
さ、そろそろ帰ります。
お守りなどを販売する神楽殿。
もちろんこの神楽殿にて
御朱印の記帳もありまして、
念願の朱印帳(小:1000円)を購入。
因みに(財)伊勢神宮崇敬会から
伊勢神宮用に3種類の朱印帳が
販売されているそうで、
ひとつがゴールドの大:1200円、
もうひとつが第62回式年遷宮を
記念して出された限定の
御朱印帳(大:1500円)デス。
限定版はコチラで通販購入可デス。
そして、最後にせんぐう会館へ。
ここからの眺めはいつも絶景ですね。
せんぐう会館にて
ちょっとお休みしたところで、、、
再び三重交通バス(420円)で
向かうは最後の内宮デス。
PS.
昨晩は今更ながらですが、
ただ今、終盤を迎えつつある
妻夫木聡主演の
「若者たち2014」の第1話を
眠い目こすって視聴しておりました。
このドラマ、1966年に
田中邦衛が主演した同名ドラマの
リメイク版なんだそうですが、
予想以上に重たい空気の
陰あり系家族ドラマの内容に
視聴率めちゃ悪いだろうなあと
思って見てたんですが、
案の定、第2話目以降は
7%台をうろついてる模様。
酷い時には6%台(涙)
でもね、この手のドラマ
僕は嫌いじゃないですよ。
人間って誰しも
家族や親友にだって
言えない秘密のひとつやふたつ
独り背負って
悩みながら苦しみながら
生きてるもんなのデスから。
と、感想を書いたところで、
いや、それは自分だけかも。
と思ったら、
キーボードを打つ手が
途端に止まりました(苦笑)
PS2.
伊勢神宮のお奨め参拝経路
自信作が完成しました。
ぜひ伊勢参りの際は
ご参考になさってください。
なお、なぜ伊勢の地が
皇室の神様を祀る地になったのか?
その理由として、
朝熊山(あさまやま)という
霊山と伊勢湾に挟まれた
つまり霊山と海に挟まれた
場所であったからとも
言われているそうデス。