死して生き、花にして種子。文 開高健

O.tone[オトン]Vol.78(人生の学び場。BAR)

ライバル社も痺れた名文。


跳びながら一歩ずつ歩く。
火でありながら灰を生まない。
時間を失うことで時間を見出す。
死して生き、花にして種子。

酔わせつつ醒めさせる。

傑作の資格。

この一瓶。

この美しい詩は
1970年、サントリー宣伝部に
勤務しながら芥川賞を受賞した
文豪・開高健によって書かれた
「サントリーオールド」の
名作中の名作コピーである。

だからと言って、
その意味はさっぱり分からぬが。

この不朽のコピーの効果か、
その後、サントリーオールドは、
破竹の勢いで売上を伸ばし、

昭和51年(1976年)には
715万ケースの販売を達成、
出荷量世界一に輝いたことで
「世界のサントリー」とまで
評価されるに至る。

さらに昭和55年(1980年)には
カフェバーブームの追い風もあり、
出荷数1240万ケースという
不滅の世界記録を達成する。

がしかし、

昭和56年、59年と
二度にわたってウイスキーの
酒税が大幅に引き上げられ、
特に特級ウイスキーは50%まで
引き上げられてしまったことで、
30%弱も値上げせなばならず
不幸にもそれがピークに。

甲類焼酎が7.8%であったことを
考えるとその差は歴然ある。

更にその影響を受けた
80年代半ばからの
焼酎ブームの到来によって
サントリーオールドの売上は
急下降線を描き始め、
カフェバー等での無料ボトル
キープ券の大量配布も効果薄く、

あまりの酷い凋落ぶりを差して
後に「オールド・ショック」
などという有り難くない言葉を
頂戴してしまう(涙)

その根拠と安定感のない
酒税システムによって
日本の酒類メーカーは翻弄され、
グローバル化に後れを
とったことは言うまでもない。

ブルータス 2010年10月15日号 20年通えるバー BRUTUS_20101015

さて、その頃のボクはというと
今から30年前の京都での学生時代

村上春樹の「風の歌を聴け」に
登場する「ジェイズ・バー」に
多大に影響され、

京都や神戸、大阪にある
隠れ家的なバーをポパイで調べ、
美味しいサンドイッチを求めて
片っ端から彷徨うことに(笑)

因みにあの頃よく通った
京都・北山通り界隈のバーは
全て廃業してしまった模様(涙)

青春は還らぬからこそ美酒の余韻。
by 東雲乃風

そして、

バーカウンターは人生の勉強机である。
by 島地勝彦