ライバル社も痺れた名文。
跳びながら一歩ずつ歩く。
火でありながら灰を生まない。
時間を失うことで時間を見出す。
死して生き、花にして種子。
酔わせつつ醒めさせる。
傑作の資格。
この一瓶。
この美しい詩は
1970年、サントリー宣伝部に
勤務しながら芥川賞を受賞した
文豪・開高健によって書かれた
「サントリーオールド」の
名作中の名作コピーである。
だからと言って、
その意味はさっぱり分からぬが。
この不朽のコピーの効果か、
その後、サントリーオールドは、
破竹の勢いで売上を伸ばし、
昭和51年(1976年)には
715万ケースの販売を達成、
出荷量世界一に輝いたことで
「世界のサントリー」とまで
評価されるに至る。
さらに昭和55年(1980年)には
カフェバーブームの追い風もあり、
出荷数1240万ケースという
不滅の世界記録を達成する。
がしかし、
昭和56年、59年と
二度にわたってウイスキーの
酒税が大幅に引き上げられ、
特に特級ウイスキーは50%まで
引き上げられてしまったことで、
30%弱も値上げせなばならず
不幸にもそれがピークに。
甲類焼酎が7.8%であったことを
考えるとその差は歴然ある。
更にその影響を受けた
80年代半ばからの
焼酎ブームの到来によって
サントリーオールドの売上は
急下降線を描き始め、
カフェバー等での無料ボトル
キープ券の大量配布も効果薄く、
あまりの酷い凋落ぶりを差して
後に「オールド・ショック」
などという有り難くない言葉を
頂戴してしまう(涙)
その根拠と安定感のない
酒税システムによって
日本の酒類メーカーは翻弄され、
グローバル化に後れを
とったことは言うまでもない。
さて、その頃のボクはというと
今から30年前の京都での学生時代、
村上春樹の「風の歌を聴け」に
登場する「ジェイズ・バー」に
多大に影響され、
京都や神戸、大阪にある
隠れ家的なバーをポパイで調べ、
美味しいサンドイッチを求めて
片っ端から彷徨うことに(笑)
因みにあの頃よく通った
京都・北山通り界隈のバーは
全て廃業してしまった模様(涙)
青春は還らぬからこそ美酒の余韻。
by 東雲乃風
そして、
バーカウンターは人生の勉強机である。
by 島地勝彦