三 宅 幸 夫 と 官 僚 た ち の 夏 。

官僚たちの夏 城山三郎 TBS 日曜劇場

日曜劇場で放送されたこのドラマ、
ご記憶にございますでしょうか?


1960年代のわずか10年間で、
新幹線開通や東京五輪の開催など
日本経済は未曽有の発展を遂げ、
戦後の貧しい混乱期から一気に
抜け出だすことができたことは
皆様もよくご存知の通り。

そんな日本の高度経済成長の時代を
影から支え続けた通産省の官僚たち、
中でも「ミスター通産省」と呼ばれ、
ダンプカーのように
当時の通産省を引っ張ったのが
実在のエース官僚・佐橋滋、

そして、その佐橋滋と
想いをひとつにして奔走した
莫逆の部下・川原英之と三宅幸夫。

官僚たちの夏 城山三郎

彼ら通産官僚の奮闘ぶりを
かの文豪・城山三郎が
ノンフィクション的に描いた小説が
この「官僚たちの夏」デス。

冒頭の画像にある通り
2009年7月からTBS日曜劇場にて
全10話で放送されたドラマなので、
ご記憶にある方も多いことでしょう。

以下が主な登場人物ですが、

風越信吾こと佐橋滋を佐藤浩市、
鮎川光太郎こと川原英之を高橋克実、
庭野貴久こと三宅幸夫を堺雅人、
牧順三こと両角良彦を杉本哲太、
山本真こと山本春生を吹石一恵、
玉木博文こと今井善衛を船越英一郎、
片山泰介こと山下英明を高橋克典、
池内信人こと池田勇人を北大路欣也、
須藤恵作こと佐藤栄作を長塚京三、

どれも実在した人物をモデルに
仮名をつけて登場させています。

で、今さら何故にこの作品を
取り上げてたのかと申しますと、

実は堺雅人が演じた庭野貴久こと
三宅幸夫はボクの母親の従弟に
当たる人物でして、

とは言っても、
親子ほど歳の離れた従弟なんで、
実際は郷里・奈良県橿原市で
親戚付き合いのあった祖母のほうが
仲良しだったようデスが(汗)

随筆 青垣 三宅幸夫 非売品

随筆「青垣」三宅幸夫著

先日、その三宅幸夫氏が
親類や縁者のみに配ったという
日記のような非売品の随筆を
読む機会に恵まれまして、

この「官僚たちの夏」や
田中角栄の秘書・早坂茂三氏が
書き遺した「わたしとオヤジ」に
書かれていたような政界の裏事情に
触れることができたため
今回ご紹介させて頂いた次第デス。

その書の中でも、1959年夏、
池田勇人通産大臣の
秘書官となった三宅幸夫氏が
いきなり大臣より命を受けたのが、
この言葉だったそうデス。

秘書官は無定量、無際限に働くものだ。

この言葉は「官僚たちの夏」でも
印象深い台詞として登場しますが、
まさに寝食をともにするほど
大臣に尽くすことを求められます。

川原英之氏が48歳、
三宅幸夫氏が67歳と短命だったのも
その言葉通りに我武者羅に働いた
結果だったのでしょうか。

但し、池田勇人大臣の気配りは
あの田中角栄を凌ぐほど
否、角栄さんが見倣ったほどで
例えばこんな出来事があったそうデス。

池田大臣が自宅別荘近くの
箱根カントリークラブで
仕事関係者たちと休日に
ゴルフをやっていたところ、
突然INの途中で池田大臣が
理由も言わずに別荘に帰られたそう。

何が不愉快なことでもあったのかと
三宅氏が大層心配していたところ、

実はラウンド中に
三宅氏が魚料理が苦手と聞いた為、
その日の夕食の献立を家人に
替えるよう指示するために
わざわざ別荘に帰られたそうデス。

他にもいくつか池田大臣の
驚異的な気配りが
紹介されておりますが、
どれも真似できないことばかり、
総理大臣になるような人物の器は
海よりも広く深いと感心した次第デス。

三宅幸夫
1920年12月16日 – 1988年2月25日
東京帝国大学法学部政治学科卒
1943年 商工省入省
1972年 特許庁長官
1982年 日本鋼管取締役副社長、
他、中東経済研究所理事長、
テレビ神奈川取締役などを歴任