沈 黙 - サ イ レ ン ス - 。

shusaku_endo 遠藤周作

ついにハリウッド映画化デス。


偉大なる小説家というよりは

た・ら・ら~・ら~♪
た・ら・ら~・たらら~♪

た~たら~た~♪
た~たらら~♪

違いがわかる男の
ネスカフェゴールドブレンド

と言えばのCMで、
お茶の間の人気者だった
歴史小説家の遠藤周作先生。

その遠藤先生が
遺された著書の中でも
傑作中の傑作と言われ、
世界13か国語に翻訳された
歴史小説がこの「沈黙」デス。

silence_shusaku_endo 遠藤周作 サイレンス 沈黙

時は江戸時代初期、
1637年12月11日から始まった
弱冠16歳のキリシタン天草四郎が
率いた島原・天草の乱が鎮圧され、
益々キリシタンへの弾圧が強まる。

そんな最中、
日本で布教活動を行っていた
イエズス会の高名な神学者
クリストヴァン・フェレイラが、

元キリシタンであった
長崎奉行・井上筑後守の
苛酷な弾圧に屈して、
ついに棄教したという報せが
ローマにもたらされます。

そして、棄教など決して
信じられない嘗ての
フェレイラの弟子であった司祭
セバスチャン・ロドリゴと
フランシス・ガルペの二人が

マカオで出会った
日本人キチジローを案内役に
九州西部のとある村に密入国し、
師匠フェレイラを探し求めます。

しかし、

そこには想像もしえなかった
恐ろしく過酷な運命が
三人を待ち構えていたのデス。

主は何故沈黙し続けるのか。。。

という下りで始まり、
文章がとても分かり易く、
軽快に読み進められるんですが、
脳神経に針がぶすぶす突き刺さる
ような深い一言一句の連続でして、
相当に苦悩する歴史小説デス。

silence-5 サイレンス 沈黙 遠藤周作

がしかしながら、
戦後日本文学の最高傑作とも
称される名作だけあって、

さらには
巨匠マーティン・スコセッシ監督が
原作に出会って以来、28年もの間、
映画制作を熱望し続けた甲斐あって、

1966年の書き下ろしから
50年もの月日を経ながらも
沈黙-サイレンス-」として
ついにハリウッド映画化が
決定された次第であります。

※日本では2017年1月21日公開予定。

silence-2 サイレンス 沈黙 遠藤周作

セバスチャン・ロドリゴ役に
アメイジング・スパイダーマンの
アンドリュー・ガーフィールド

silence-1 サイレンス 沈黙 遠藤周作

フェレイラ役にリーアム・ニーソン

silence-3 サイレンス 沈黙 遠藤周作

キチジロー役に窪塚洋介

silence-4 サイレンス 沈黙 遠藤周作

通詞役に浅野忠信

キーマンとなる井上筑後守役に
イッセー尾形

原作によって
精神的な苦痛、処刑の残忍さを
十二分に味わっただけに、
狂気とも言える棄教の世界観を
映像で目の当たりにするのは
相当に恐怖を感じます。

それ故に本作を鑑賞するべきか、
それとも鑑賞しないでおくべきか、
それだけでも相当に悩み処かと(汗)

★★★☆☆
『 沈 黙 』
著者:遠藤周作

PS.以下ネタばれあり。

主イエスが描かれた踏み絵を
どうしても踏むことが出来ず、
その結果、殉教していく信者、

例え踏み絵を踏んだとしても
心の中で信仰を継続する信者、

キチジローのように
例え司祭を裏切ったとしても
懺悔しながら生き伸びる信者、

主イエスは
頑なに沈黙しながらも
どの信者に対しても
決して差別することはないと、
寛容の精神が存在するだけだと、
遠藤先生はそんな意を込めて
本小説の最後を閉じてるような。

そう考えると、
ひょっとするとひょっとして、
元キリシタンの井上筑後守も
実は信仰を捨てていなかった?
のやもしれません。

さて、本書を読み終えて
そもそも今の現代社会にとって
宗教が有用なものであるのか?
もう必要ないのではないか?
と思われた方もも多かったはず。
ボクももちろんその一人デス。

今のシリア・イラクで
起こっている紛争を鑑みても
そう思えるかもしれません。

しかし、

小室直樹先生の言うところの
西欧から始まった現代社会は
文化にしろ、政治にしろ、
経済にしろ、教育にしろ、
キリスト教が根幹となっている、

その史実に目を向ければ
科学社会になったからと言って
宗教が無意味な存在になっているとは
とても言い切れないのも
事実かもしれません。

ホントいろいろ考えさせられる
歴史小説と言えましょう。