硫黄島からの手紙 & 父親たちの星条旗。

硫黄島からの手紙 父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers_letter from iojima

戦争に勝者も英雄もなし。。。


2004年の『ミリオンダラー・ベイビー』で見事アカデミー賞監督賞を獲得したかのクリント・イーストウッド監督が、2006年に「硫黄島プロジェクト」と称して太平洋戦争においる最大激戦地と言われた硫黄島における戦いを日米双方の視点から別々に描いた作品を作り上げました。それが冒頭画像にあります米国側からの視点で描かれた『父親たちの星条旗』、そして日本側からの視点で描かれた『硫黄島からの手紙』の2作品でございます。

そして、今から遡ること7年前の2006年12月9日公開当日に、当時出来たてほやほやだったららぽーと豊洲のユナイテッドシネマにて、日本側からの視点で描かれた作品『硫黄島からの手紙』のほうをまずは観賞させて頂きました。しかしながら、同年10月28日に『硫黄島からの手紙』に先駆けて劇場公開された『父親たちの星条旗』に関しては残念ながら当時観賞できていませんでした。

で、先々週ようやく重い腰を上げ、豊洲のツタヤで同作品のDVDをレンタルし、公開から7年越しとなりましたが、日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト」の両作品をやっとこさ見終えた次第でございます。 そんなわけで、クリント・イーストウッド監督の反戦に向けた強い決意をワタクシ自身も忘れることのないようこの度レビューを残す次第デス。

 

★★★★★
硫黄島からの手紙(2006年12月9日公開)
Letters from Iwo Jima

監督:クリント・イーストウッド
脚本:アイリス・ヤマシタ
原案:アイリス・ヤマシタ、ポール・ハギス
原作:栗林忠道、吉田津由子(編)『「玉砕総指揮官」の絵手紙』
製作:クリント・イーストウッド、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ロレンツ
製作総指揮:ポール・ハギス
出演者:
渡辺謙(栗林忠道陸軍中将)
二宮和也(西郷昇陸軍一等兵)
伊原剛志(西竹一陸軍中佐、バロン西)
加瀬亮(清水洋一陸軍上等兵)
中村獅童(伊藤海軍大尉)

昨年末公開された話題作「永遠のゼロ」、1998年公開の残酷シーン極まりなかった「プライベート・ライアン」、古くは1987年公開の「プラトーン」など反戦を強く感じさせてくれる戦争映画は数多く存在していますが、最も強烈な印象を植えつけられた戦争映画がこの「硫黄島からの手紙」と言っても過言ではありません。 以下、「硫黄島からの手紙」のストーリー(あらすじ)と僕なりのレビューをご紹介させて頂きます。

当時の硫黄島を守衛する帝国陸軍の守備隊兵力約21,149人に対して上陸する側の米軍の海兵隊兵力はその5倍の約11万人、しかも終戦間際の帝国陸軍には制空権や制海権どころか武器や弾薬、食料もおぼつかないという状況の中での戦いでありました。万が一平坦で長い滑走路のある硫黄島を米軍に奪われると本土への直接攻撃が容易くなる為、日本陸軍は玉砕覚悟でもなんとか相討ちをして硫黄島を死守せねばならなかったのです。

がしかし、本土防衛の最後の砦となる硫黄島を守る守備隊の兵士たちも元はと言えば赤紙一枚で強制招集されただけのろくに戦闘経験どころか戦闘訓練もも受けていない一般庶民。主人公のひとりである嵐の二宮君演じる西郷昇陸軍一等兵も硫黄島に出征する前までま妻と二人でつつましやかにパン屋を営み、まさか激戦地となる硫黄島に出征することになるなどとは夢にまで思っていなかったはずです。

硫黄島の戦い

1945年2月19日の米海軍の硫黄島上陸作戦が開始される3日前の2月16日、硫黄島近海に現われた米海軍の夥しい数の艦隊を目の当たりにして、この時初めて日本の守備隊の兵士たちは大本営や当時の新聞に日本が優位もしくは互角などという嘘っぱちの戦況を刷り込まれていたことを悟るのです。そして、いよいよ2月19日、圧倒的な戦力を誇る米海軍の硫黄島総攻撃が艦載機と艦艇の砲撃支援のもと開始されます。そして、硫黄島の海岸に続々と無数の米海兵隊たちが上陸し突撃攻撃を仕掛けてくるのに対して、防衛側の帝国陸軍は小笠原方面最高指揮官であった栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)の作戦指揮の下、事前に硫黄島島内に縦横無尽に張り巡らされた硫黄の臭気と熱気が立ち込める灼熱の地下坑道を利用したゲリラ戦で抵抗交戦を試みます。

しかし、もともと食料や水もない上に、さらに硫黄ガスが立ち込める地下坑道内での過酷な環境に日本兵たちはみるみる痩せ細って戦う気力を失っていきます。それでも、目の前に現われた敵兵を撃ち殺さなければ逆に自分が殺される、敵兵を殺すことに躊躇うことなど一切許されない、ほんの少し前までは敵兵と言えど人を殺すなんて夢にまで思っていなかった素人言える兵士だったわけです。さらに司令部から撤退命令が出されても、それをよしとしない上官からは「撤退など臆病者のすることだ!」と自決を強要され、故郷に残る家族をお思い浮かべ泣きながら次々と手榴弾で自爆する、そんな極限の精神状態での戦闘がこの硫黄島では36日の間、延々と繰り広げられたのです。まさにこの生き地獄とはこのような状態のことを言うのでしょう。

また、その頃の日本では、硫黄島での抗戦空しく3月10日深夜未明、先に陥落していたグアム、テニアン、サイパンの飛行場から飛び立った325機のうち279機のB29をはじめとする米爆撃機が戦争史上最大規模と言われる東京大空襲を行い、38万1300発もの焼夷弾で10万人以上の都民が犠牲になり、第一目標であった僕の住むこの江東区も焼け野原になっています。

硫黄島の戦い 2 (2)

しかしながら、5日で攻略されると思われていた硫黄島守備隊はその予想を大きく覆し25日以上もの間、徹底抗戦を続けます。しかし、劣勢は火を見るより明らかで、硫黄島の北部まで追いやられた栗林忠道陸軍中将は3月16日、大本営へ以下のような訣別電報を送ります。

「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来麾下将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭シムルモノアリ 特ニ想像ヲ越エタル量的優勢ヲ以テス 陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ 宛然徒手空拳ヲ以テ克ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊カ悦ビトスル所ナリ 然レドモ 飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次デ斃レ 為ニ御期待ニ反シ 此ノ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ 小職ノ誠ニ恐懼ニ堪ヘザル所ニシテ幾重ニモ御詫申上グ 今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方リ 熟々皇恩ヲ思ヒ粉骨砕身モ亦悔イズ 特ニ本島ヲ奪還セザル限リ皇土永遠ニ安カラザルニ思ヒ至リ 縦ヒ魂魄トナルモ誓ツテ皇軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス 茲ニ最後ノ関頭ニ立チ重ネテ衷情ヲ披瀝スルト共ニ 只管皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ 永ヘニ御別レ申シ上グ 尚父島母島等ニ就テハ 同地麾下将兵如何ナル敵ノ攻撃ヲモ断固破摧シ得ルヲ確信スルモ何卒宜シク申上グ 終リニ左記駄作御笑覧ニ供ス 何卒玉斧ヲ乞フ」

国の為重き努を果し得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ
醜草の島に蔓る其の時の 皇国の行手一途に思ふ

3月26日、先の電報をもって中将から大将に昇進した栗林大将は最後に残った将兵約400名とともに最後の夜襲をを敢行し、この日をもって36日間も長きに渡った硫黄島の戦いは事実上終結します。

この硫黄島での戦いでは日本の守備兵力 21,149名のうち戦死者20,129名(軍属82名を含む)も出す悲劇的激戦地でした。そして、2010年に時の首相だった菅直人の指示のもと発足した遺骨帰還のための特命チームの設置以来、遺骨帰還事業は継続されておりますが、今なお1万人以上もの英霊たちが硫黄島に眠っています。

2006年の劇場公開当時、ぜひとも世界中の子供たちに観てもらいたい、戦争というものがこんなにも残酷で無慈悲でまったく価値のないものなのだということを、この作品を通してひとりでも多く知ってもらいたいと、今は亡き友人と語り合っていたことが懐かしいデス。

 

★★★☆☆
父親たちの星条旗(2006年10月28日公開)
Flags of Our Fathers

監督:クリント・イーストウッド
脚本:ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイレス・Jr
原作:ジェイムズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ / 『硫黄島の星条旗』
製作:クリント・イーストウッド、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ロレンツ
出演者:ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ

「硫黄島からの手紙」とは逆の視点、米国側からの視点で硫黄島の戦いが描かれた作品がこの「父親たちの星条旗」です。

1945年2月16日、おびただしい数の米国海軍の艦船が硫黄島近海に集結し、上陸前の3日間、日本兵約2万人が守備する硫黄島を空と海の両方から徹底的に砲爆撃します。その凄まじい攻撃は、艦船から眺めていたひとりの海兵隊員が「俺達が戦える日本兵はもう残ってないかもな。」と台詞を呟くほどでありました。

そして、2月19日いよいよ米海軍は硫黄島上陸作戦を決行します。しかし、上陸前の3日間の激しい攻撃は地中深くに要塞を作っていた日本軍に対してなんら損害を与えることができていなかったのでした。

父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers 硫黄島の戦い

この上の写真は皆様もご覧になったことがある写真かと思います。硫黄島の南西に位置する3,000人以上の日本兵によって守られ砦の役目を果たしていた摺鉢山を硫黄島上陸からわずか4日後の2月23日に米軍が陥落した際に海兵隊6人によって立てられた星条旗の写真(撮影者:ジョー・ローゼンタール)です。実は米海兵隊もこの前日までの戦いで5,000人以上の死傷者をだしており、その酷い戦況を従軍記者たちが報道するラジオで知ったアメリカ国民が対日戦争を非難し始めていたところだったのです。

そこで、もともと摺鉢山の制圧を海岸にいた味方に知らせるため星条旗を掲げた時に撮影されたこの写真をAP通信のジョン・ボドキンが歴史的な一枚の写真としてニューヨークのAP通信本社へ電送します。そして、撮影から印刷までわずか18時間半後にアメリカの多くの新聞にこの写真が大きく掲載されるのです。するとこの写真は「硫黄島の星条旗」(Raising the Flag on Iwojima)と称され、アメリカ国民の対日戦争非難に対するプロパガンダ用として使用される数奇な運命を辿ることになるのです。

実はこの写真は最初に摺鉢山を制圧した海兵隊たちによって掲げられた星条旗(最初の星条旗の写真はコチラ)ではなく、131×71cmという小さい旗で海岸からよく見えなかったという理由から、最初から数時間後の2度目に掲げられた星条旗だったのです。そして、その大きな星条旗を掲げたのは当時偶然その場に居合わせた衛生兵ジョン・ブラッドリー、摺鉢山山頂に電話線をひく任務に従事していたレイニー・ギャグノン、アイラ・ヘイズ、マイク・ストランク、ハーロン・ブロック、フランクリン・スースリーたち6人でした。つまり、大きな目立つ星条旗を使って2度目に掲揚された瞬間をローゼンタールが絶妙な角度から撮影した曰くつきの写真であったのです。

硫黄島の戦い iwojima war2 (1)

但し、わずか上陸開始から4日で摺鉢山を制圧したからと言ってそう簡単に硫黄島そのものが制圧できるわけではありませんでした。その後、2度目の写真に写っていた6人のうちの3人、ハーロン・ブロックはその数時間後に日本軍の迫撃砲による攻撃を受けて戦死、マイク・ストランクはその6日後に味方駆逐艦の誤射を受けて死亡、フランクリン・スースリーは硫黄島の戦いが終わる5日前の3月21日に狙撃兵の銃弾を受けて戦死します。

そして、本作品「父親たちの星条旗」はこの2度目の星条旗を偶然掲げた時に写真に写り、その後の硫黄島の戦いを生き抜くことが出来た実在の海兵隊員 ジョン・ブラッドリー、レイニー・ギャグノン、アイラ・ヘイズの3人の栄光とその後の挫折の人生を描いた物語なのであります。

なお余談ではありますが、本作品の中で、米海兵隊が摺鉢山の坑道の穴の中で手榴弾によって上半身が吹き飛んだ多くの日本兵の遺体を発見する見るに耐えないシーンがあります。がしかし、実際にはその立ち込めた遺体の臭いも含め、決してそのまま映像化出来るものではなかったと聞いています。

 
硫黄島戦の両軍の損害

期間: 1945年2月19日から3月26日
戦力: 日本 21,149人 米国 110,000人
戦死: 日本 20,129人 米国 6,821人 戦傷 21,865人

 
この2つ作品を通して言えることはたったひとつ、戦争に勝者など一切存在しない、敗者だけが虚しく残るのだと。ましてや戦争に英雄など存在するはずもありません。世界に目を向けるとアフガニスタン、イラク、ダルフール、サリン、ワジリスタン、シリア、そしてウクライナ問題などの様々な紛争、そして日本においても尖閣諸島、竹島、集団的自衛権の議論など様々な問題を抱えているのが実情です。だからこそ太平洋戦争で原爆まで落とされ、完膚なきまでに叩きのめされた経験をもつた日本だからこそ今最もやるべきことは、戦争や紛争といったものが如何に愚かな行為で、残酷な結末し待ってなく、そこに勝者など存在せず、敗者しか残らないことを自他国のすべての子供たちに時間とお金を使って伝え切れるようそんな仕組みを作りあげることが何よりも先決ではないかと深く思った次第デス。

PS.

戦後の日本の教育で硫黄島の戦いやレイテ島の戦い、沖縄戦などの実情が伏せられていたのかどうかは今や記憶にありませんが、クリント・イーストウッド監督曰く、この硫黄島の戦いのことをあまりに今の日本人が知らないことに大変驚いたそうです。僕自身も硫黄島の戦いの名前こそ知ってはいましたが、どんな残酷な内容の戦いであったかまではまったくもって無知でありました。故に決して歴史の中に眠らせてはいけないこの硫黄島の戦いを米国人であるにも関わらず日本側からの視点で非常に丁寧に公平な立場で作品に残してくれたクリント・イーストウッド監督、その他本作品に関わった方たちに心から敬意を表したいところです。

硫黄島からの手紙 & 父親たちの星条旗。」への2件のフィードバック

  1. steve

    父親達の星条旗がまず作られました。イーストウッドの映画ですから、言わずと知れたリバータリアン映画です。このリバータリアニズムを知らないと、この映画でイーストウッド監督が何を伝えたかったか明確化されません。
    そして次のこの映画の特徴は、非常に映像が暗いことです。これはイーストウッドがいつも取りたい黒い画面の映画を目指したものです。バードという映画でも黒い画面を目指しましたが、この映画が極められています。映画館で見ましたが、とても印象的でしたが、眠くもなりました。

    硫黄島からの手紙ですが、これは日本兵がイーストウッドの想像を超えた行動様式を取っていたことに触発されて作られました。そして国家が国民を犠牲にしているという、将にリバータリアンが否定する国家像を描いております。ですから、ここでもリバータリアニズムをまずは理解すべきです。

    では、そのリバータリアニズムとは?あまりにも胆略化してしまうのですが、、、、

    (1)アンチ国家、アンチ政府
    国が介在するものなど、大概がまやかしだ

    (2)税金や戦時国債の否定
    国に国民が一生懸命働いて貯めた金を徴収する権利などない。税金こそ欺瞞の最たるものだ

    (3)国内重視
    他国の戦争に我国民を出兵させるなど愚の骨頂だ。第一次&二次大戦も他のも、アメリカと他国との戦争ではなかったではないか?アメリカ国民はアメリカ国内のことだけを考えればよいのだ。

    (4)自分の身は自分で守る
    相手を傷つけることはしない。しかし、相手が戦いを挑んできたときは、必ず戦い、そして自分の身を守る。例え相手が爆弾を落としてきても、我々はライフルで相手と戦う。(これがあるので、イーストウッドは日本が日本刀で戦ったことに共感を覚えたのです。)

    この愚直さこそが、リバータリアンである凄さだ。

    今も厳然とアメリカにはこのリバータリアニズムという政治思想がある。ティーパーティを見れば良くわかるでしょう?

  2. heritager 投稿作成者

    steveさん
    いつも詳細なコメントをいただき有難うございます。

    クリント・イーストウッドがリバータリアンであること自体存じ上げておりませんでした。リバータリアンにとって当時の日本は仰る通り正反対の思想であったことは紛れもない事実ですよね。但し、その中にあって栗林中将やバロン西の描き方がとても人間的であったのはイーストウッドが彼らにリバータリアンとしての素質を見出していたってこともありえるのでしょうか?

    どちらにしろ、硫黄島からの手紙 に関しては過去の戦争映画の中においては群を抜いて史実に忠実な良作だと思いますし、もっと世界の人たちにみてもらいたい作品だと思いました。

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