二 十 。

POPEYE 2018年3月号


昨年の2017年3月号に続いて
再びPOPEYE3月号は
このテーマで来た模様デス。

「二十歳のとき、何をしていたか?」

よほど昨年のこのテーマの
評判が良かったのかな?

繰り返しになりますが
ボクの場合、こんなんでした。

二十歳の頃は
京都で大学生やってました。

下宿先は右京区にあった
コチラのワンルームマンション。

はや30年の月日が流れましたが
今もマンションは現存してまして
2013年に当ブログで紹介した際
なんとオーナーさんから
コメントを頂いて超びっくり!
褒めた書き方でよかった。

否、お元気そうで何よりでした(笑)

で、当時の学生生活で
授業を受けた記憶はほぼ皆無。
アルバイト三昧な日々でした。

最も記憶に残るバイトは以下3つ。

◆大丸のお中元配達

クーラーのない車での配達は
真面目に死にました(苦笑)

1個配達して僅か80円。

しかも1ケ月やってみて
時給計算すると300円!?

当時マックでも
最低時給480円だったのに。

しかも1ヶ月無休でしたヨ(涙)

◆ケーキ屋さん

当時北野白梅町にあった
「パンプルムース」という
今は亡きホテルニュー京都系列の
貸衣装屋さんが経営していた
シンプルさが売りのケーキ屋さん。

ネットで調べたところ、
当時とはちょっと離れた場所に
「ぱんぷるむうす」という
同名に近いケーキ屋さんが
新たに存在してるようなんで
今度京都に行く機会あれば
ぜひお邪魔してみようかなと。

◆日立マクセルの工場

豊臣秀吉と明智光秀が戦った
天王山の戦いの地であった
京都府乙訓郡大山崎町にある
日立マクセルの巨大工場。

夜間12時間労働(休憩3時間)で
カセットテープ作ってました。

同工場の場所にはちょうど
木村重茲(木村重成の父)と
池田恒興の陣が
あったとされています。

因みに夜間週4回のバイトで、
当時としては破格の
23万円を頂いてました。

そんなわけで、
今から30年ほど前
当時一緒にバイトしてた方
偶然にもこの記事を
目にすることが出来ましたら
ぜひコメントをお願いします!

日立マクセルの工場のあった
天王山に関してもうひとつ
史実を加えさせていただくと

1864年の禁門の変
会津兵と新選組に追われ敗走し
久留米藩士の真木和泉以下
17名が立て籠もって
自刃した地も
マクセルの山﨑工場から
僅か800mほどの場所でした。

真木和泉は
長州兵を逃がし
再起させるために
わざと囮になったとも
語り継がれていますよね。

□□□ 東雲乃歴 □□□□□□□□

大山の 峯の岩根に 埋にけり わが年月の 大和魂

真木和泉辞世の句


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