eleventy 生活、今年も見送り。

贅肉に筋肉が上乗せ?(涙)


気がつけば丸6年経過した
2枚のイレブンティのポロ。

昨年夏は背泳ぎの影響で
胸囲が大きくなりすぎたせいか
ポロシャツすべて着脱困難となり
涙・涙のお蔵入り。

一応引っ張り出してきたものの
今年の夏も着脱は厳しそう。

蝶のアイコンが泣いている(ToT)

 

□□□ 東雲乃本 □□□□□□□□□□

★★★☆☆
日本史の内幕
戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで

著者:磯田道史

淀君が生んだ秀頼は本当に豊臣秀吉の実子だったのか?

ただ今、歴史学者・磯田道史先生の「日本史の内幕」を楽しく読ませて頂いてるんですが、その中に冒頭の設問がありまして、磯田先生はきっぱりと「否、実子はありえない」と断言されてました。

以下、その理由を読んでなるほどと膝を打ちましたので、ご興味とお時間のある方はどうぞ。

秀頼の誕生日は1593年8月29日なので、受胎想定日は1592年11月30日前後。

その10月10日前、秀吉は文禄の役(1592年5月24日 – 1593年8月5日)の真っ最中で佐賀の名護屋城に長く駐留していたそうなんデス。

そして、その名護屋城に同行していた側室は、淀君ではなく京極殿(松の丸殿)だったということが太田牛一はじめ複数の側近の一次資料で明らかになっています。

佐竹家臣の平塚瀧俊が自宅宛てに「淀君もきているらしいよ」と書いた手紙が残ってはいるのですが、淀君に関しての記述はその手紙だけで他の資料に淀君同行の記述がまったくないことから、十中八九平塚瀧俊が京極殿と間違えているとのこと。

よって、秀頼は秀吉の実子ではないと結論づけられておりました。

でも、文禄の役が終戦して秀吉が大阪に戻った頃には、秀頼は生まれてるわけで、秀吉はどうして疑わなかったのか?その点だけが妙に引っ掛かるところでした。