初詣 2019。

斜度はなんと40度!?


遅ればせながら2019年の初詣はこの「出世の階段」で知られる愛宕神社へ。

やっぱりこの坂を上から見るのはちと怖い?

さて、「出世の階段」の謂れをご紹介しましょう。

時は寛永11年(1634年)の春のこと。江戸幕府第3代将軍・徳川家光公が芝の増上寺での参詣の帰りに、ここ愛宕山の下を通りがかりました。

すると愛宕山には梅が満開。家光公は美しいその梅を目にして、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じました。

しかし、この愛宕山の石段はご覧の通りとても急勾配。歩いて昇り降りするならともかく、馬で昇り降りするのは命がけ。近習の者たちは全員下を向いてしまいました。

すると、この石段を馬で昇りはじめる輩が現れたではないですか。

家光公:「あの者は誰じゃ」

近 習:「ぞ、ぞ、存じ上げません」

その者は見事、山上の梅を手で折って、馬にて石段を昇り降りし、家光公に梅を献上したのデス。

その者の名は四国丸亀藩の家臣・曲垣平九郎(まがき・へいくろう)。

家光公:「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」

そして、平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国に轟いたというわけデス。

歌川広重(2代目?3代目?)の「芝・あたご下」でも出世の階段が描かれてますヨ。