2020.11.23(祝)9:30~
大徳寺総見院と聞いて織田信長公の顔が浮かんだ貴方は相当な日本史通。
ってことで、本能寺の変で亡くなった織田信長公の菩提寺として覇権争い真っ最中だった豊臣秀吉が古渓宗陳を開祖として建立した大徳寺22塔頭寺院の一つがこの大徳寺総見院。
明治初年の廃仏毀釈によって堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化したそうですが、規模を縮小しながらもなんとか大正年間に再興され今も順次復興中。
1961年、信長公380年忌を行うとともに本山に安置されていた木造織田信長坐像を再び迎え入れて現在に至っています。
信長坐像 (写真撮影禁止)というのはコチラデス。TVやメディアで拝見したことある方も多いはず。
信長死の1年後、信長の顔を知る七条大仏師・康清によって2体制作され、うち1体は遺骸の代わりに荼毘にふされ、その燃え残りがあとに紹介する五輪塔に安置されてるそうな。
さ、続いては軽く境内をご紹介。
信長家臣・堀秀政寄進による鐘楼。
手前に写っている土塀とともに創建当時そのままの姿で現存しています。
総見院にある3つの茶室のうちのひとつ香雲軒
一休禅師の掛軸がある寿安席
後ろには五七桐の襖!?
その昔、長谷川等伯は大徳寺三玄院の秀吉寄進の五七桐の襖に住職に内緒で山水図を描いたそうですが、こんな綺麗な襖に描いたんですネ。なるへそデス。
侘助椿
豊臣秀吉が千利休から譲りうけて植えたと伝わる椿だそうデス。
掘り抜き井戸
なんと加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で作ったとか!?
さ、ついに信長公の墓所デス。
左から3番目が信長公の五輪塔
信長正室・帰蝶(濃姫)の五輪塔
信長側室・お鍋の方(興雲院)の墓石。
合掌。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
総見院の隣りにある聚光院。
千利休の菩提寺として知る人ぞ知る大徳寺の塔頭デス。
次回こそはきっと。