13・比企一族 x 妙本寺。

妙本寺

2022.07.02(土)14:30~


7月のぷち鎌倉の旅
今日でようやく最終章(汗)

さて、まだ時間は
14時半だというのに
夏の炎天下に晒され疲労困憊。

しかも予定が押して
まだ昼ご飯も食べれてない
ってことでいくつかの
歴史的現場参観をリスケし

鎌倉・比企谷にある妙本寺へ。

「比企谷」という
地名からでもわかる通り
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で
悲劇的な最期が描かれた
比企一族の屋敷跡に建立された寺院だ。

妙本寺

妙本寺総門。

因みに隣りに見える八角堂はなんと幼稚園!?

妙本寺

方丈門。

大河でも描かれたように
1203年の比企能員の乱の際
比企一族は滅ぼされたのだが

能員の妾にできた子が
まだ2歳であったことから
安房国への配流だけで助命され
その能員の末子となった
比企能本が後に鎌倉の地に戻ることを許され

父・能員と母の菩提を弔うべく
1253年にこの地に法華堂を建て
帰依していた日蓮上人に法華堂を寄進
1260年に妙本寺として創建されたそうだ。

妙本寺

二天門。

奥に見える祖師堂は
この時修復中だったが
映画「千利休 本覺坊遺文」にて
上條恒彦が演じる山上宗二が
階段前で壮絶な切腹を果たしている。

妙本寺 比企能員墓所

比企一族供養塔。

「鎌倉殿の13人」を
見てても明らかな通り
「比企能員の乱」ではなく
「北条時政のクーデター」と言っていい。

その後、時政の孫であった
2代将軍・源頼家を謀殺するなど
北条家に権力を集中させるためなら
なんでもやる滅茶苦茶な一族ともいえよう。

但し、北条時政の来孫に当たる
時宗がリーダーシップを発揮して
2度の元寇を退けたことは
誉められてもいいかもしれないが。

歴史の因果は不思議なことだらけだ。

以上、2022年7月のぷち鎌倉の旅、了。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

凄 す ぎ て 笑 う し か な い 。