2023.06.23(金)12:00
まだまだ続くヨ
大人の休日倶楽部パスの旅。
さて、武田信玄公墓所より
レンタル自転車で街道を
東にぶっ飛ばすこと約15分
辿り着いた由緒ある寺院が此処
甲 斐 善 光 寺
創建年は永禄元年(1558年)
開基はもちろん武田信玄だ。
名目上は信玄と謙信が争った
川中島の戦いの戦禍を避けるため
信玄が善光寺別当の栗田寛久に命じ
本尊の《善光寺如来》をはじめ
寺宝をこの地に移したことから始まる。
因みに《善光寺如来》は
1582年の武田氏滅亡後
紆余曲折して豊臣秀吉が創建した
京都の大仏殿に安置されるも
1598年に秀吉が病を患い
《善光寺如来》を移したための
祟りではないかと噂されたことで
秀吉の死の前日に信濃善光寺に戻されたと伝わる。
よって《善光寺如来》は
甲斐善光寺に安置されていない。
そのせいか参拝客も少ない。
場所も甲府駅から遠く門前町もないし。
本堂では信濃同様胎内巡りもできるのに残念だ。
とはいえ、武田氏滅亡後も
織田信忠や徳川家康をはじめ
多くの有名武将も訪れている名刹
大変貴重な歴史的寺宝も
本堂の隣り宝物館に安置されている。
【独自】最古とされる源頼朝の木像、解体・修復作業進む…国宝の肖像画に別人説浮上で評価高まる : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン https://t.co/5OIjoItz4h
⇒ 「解体・修復されているのは、山梨県指定文化財「木造源頼朝坐像」(高さ94・5センチ)。これまでに確認された像内部— 伊藤克己 (@katsumi_itoh) November 3, 2020
特に源頼朝の死後
北条政子の命で作られ
信濃善光寺に奉納された
この木造源頼朝坐像は必見だ。
《善光寺如来》は
信濃善光寺に返されたが
幸か不幸かこの木造源頼朝坐像は
そのまま甲斐善光寺に遺された。
神護寺の伝源頼朝像が
別人の可能性があるとして
今や出自が明確なこの木像が
教科書に掲載されるようになっている。
三代将軍の源実朝の木像も
一緒に鑑賞することができるので
間違っても甲斐善光寺を見逃す手はない。
以上のこと覚えておいて損はないだろう。
さ、続いては山梨県立美術館へGO。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
大谷さんやったりました。
9勝目を飾る1安打完封勝利!
今夜もノンアルコールビールで乾杯デス。
さらにダブルヘッダー2試合目には37号!
も は や 神 !
あれま!続いて38号!
神のその上はなんなのだ!?