信康自刃事件
築山殿殺害事件
本能寺 x 伊賀越え事件
石川数正の出奔事件などなど
未だ解明しきれてない事件が
戦国時代にも数多く取り残されている。
そこで徳川家康の
縁戚であり家臣でもあった
深溝松平家4代目・松平家忠が
23~40歳までの17年間にかけて
遺した貴重な一次資料『家忠日記』を
少しでもその手掛かりになればと読んでみた次第。
がしかし、、、
事件に関するあらましは
ごく僅かしか記載されてなく
城の普請や連歌、茶の湯などの話が中心。
特に岡崎城、浜松城を中心に
ちょっちゅう城の普請が行われ
その度ごとに家忠家中は駆り出されていた。
ホント生き残るのに
大変な時代だったのネ。
そんなわけで
信信康自刃事件も
築山殿殺害事件も
石川数正の出奔事件も
まったく手掛かりなしでござったヨ(涙)
因みに松平家忠は
慶長5年(1600年)の夏
関ケ原の戦いの前哨戦となる
伏見城の戦いにて
鳥居元忠、内藤家長らと共に
城を枕に討ち死にしたという。享年46。
合 掌 。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
U-22日本代表頑張ってる!
特に松村優太選手の4点目のシュートが秀逸。
力むことなく
フリーキックを蹴るように
柔らかくコーナーをついてるのが良いネ。