映・ナポレオン。

映画・ナポレオン

He come from nothing. He conquered evrything.


1970年に公開された
ナポレオンを扱った映画
ワーテルロー》を鑑賞した際は
激しい戦闘シーンより
英仏両軍の兵士が着飾っていた
ミリタリーファッションほうに
目を奪われたと書いている。

がしかし、、、

マリー・アントワネットの
残忍な断頭台シーンから始まる
本作品においてはファッションや
アーキテクチャ、インテリアなど
まったく目に映らないほど
破壊的な物語にのめり込んでしまった。

ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠

中でもルイ・ダヴィッドの絵を
そのまま再現したナポレオンの戴冠と
皇妃ジョゼフィーヌの戴冠のシーンは
それだけで鑑賞料金の元がとれるほど
ゴージャス極まりない美しい映像であった。

因みにナポレオンの戴冠式は
ローマ教皇ピウス7世の手を借りず
聖餐台に置かれた帝冠を
ナポレオン自ら右手で掴み取り
そのまま軽く頭に触れる程度に載せ
続いて厳かに跪くジョゼフィーヌの頭に
今度は両手で帝冠をやはり触れる程度に載せている。

つまり、教皇ピウス7世を
わざわざパリに呼び寄せるなど
ヨーロッパでの伝統的な儀礼を
打ち壊した戴冠式をやってのけたのだ。

カトリック教会ではなく
フランス国民によって選ばれた
皇帝だからというのがその理由らしい。

なお、本作を鑑賞するにあたって
以下2つのクーデターを
しっかり予習していかないと
最初から眠くなるかもしれないので要注意。

フランス革命の主導者
ロベスピエールが失脚した
テルミドール9日のクーデター(1794)

ナポレオンらが総裁政府を打倒し
自ら第一執政に就任することになった
ブリュメール18日のクーデター(1799)

そして、戴冠式と同じくらい
印象に残ったのが以下のシーン。

※以下、ネタバレ注意

 

 

 

ナポレオン最後の戦となる
ワーテルローの戦い(1815)において
ウエリントン公爵率いる英国と
プロイセンの同盟軍に完敗。

パリに逃げ帰るも
フランス議会も国民も
ナポレオンに対して愛想をつかし
さらにプロイセン軍は
ナポレオンの逮捕命令を出す。

米国への逃亡を謀るも
英海軍によって港が封鎖されていて叶わず。

結果、英海軍のベレロフォン号に
ナポレオンは投降することになるんだけど、、、

そのベレロフォン号内と思われるワンシーンがコレ。

ナポレオン

ルパート・エヴェレット演じる
ウェリントン公爵が船に訪れ
ナポレオンに会いに来るんだけど、、、

なんで投降したナポレオンが
広々としたダミエ柄の床の部屋で
余裕ぶっこいてステーキ食っとんねん!?笑

関ケ原の敗戦でお縄になった
石田三成と違いすぎるわ(苦笑)

ウェリントン公爵にとっても
今日のナポレオンは明日は我が身
中級以下の捕虜にはブタ飯食わしても
上級な捕虜にはステーキをという意味か
それともノーサイドの精神か。。。

とにかく彼らにとって戦争とは
チェスをやるのと変わりないようだ。

このシーンはホント目に焼き付いたヨ。

なお、このあとナポレオンは
絶海の孤島・セントヘレナに亡命し
実質は島流しにされ、その6年後
胃がんで51歳の生涯を閉じることになる。

さて、ナポレオンが
皇帝の地位に就いたのは齢35
生涯で率いた戦いの数は61(58勝3敗)
大量破壊兵器のない時代にも拘わらず
戦死者の数は敵味方合わせて300万人以上

本作品を観れば明らかだが
画期的な密集方陣戦術を用いえど
戦士の大半を占める歩兵部隊は
今も昔も家畜同然の扱いでしかなかった。

日本版のサブタイトル
英雄か悪魔かと問われれば
英雄が悪魔に憑りつかれたという他ない。

明征服を目指した豊臣秀吉
ナチスのヒトラー総統と同様
家臣たちの諫言に耳を貸さない
無限の力をもった独裁者にあるあるである。

とはいえ、秀吉とも
ヒトラーとも異なる点が
彼が生前描かれた絵画すべてが
どれも完璧な英雄にしか見えない点だ。

こんな英雄を誰が悪魔だと言えるだろうか。

と、まんまとナポレオンの仕掛けた
プロパガンダにより洗脳されてしもうたわ(苦笑)

ナポレオンの村 ナポレオン・ボナパルト David_-_Napoleon_crossing_the_Alps_-_Malmaison

《サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト》

作者:ジャック=ルイ・ダヴィッド
製作年:1801
寸法:261 cm × 221 cm
所蔵:国立マルメゾン城美術館

1801年、スペインとの和睦により
スペイン王カルロス4世より贈られた肖像画。

《アルコール橋のボナパルト》

作者:アントワーヌ=ジャン・グロ
製作年:1801頃
所蔵:ルーブル美術館

ナポレオン・ボナパルト

《戴冠式の正装の皇帝ナポレオン1世》

作者:フランソワ・ジェラール
製作年:1802頃
所蔵:国立マルメゾン城美術館

《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》

作者:アントワーヌ=ジャン・グロ
製作年:1804
所蔵:ルーブル美術館

ナポレオンのエルバ島からの帰還

《ナポレオンのエルバ島からの帰還》

作者:シャルル・ド・スチューベン作、
製作年:1818
所蔵:国立マルメゾン城美術館

エルバ島から脱出し
ゴルフ・ジュアンに上陸した
ナポレオンを捕獲しようと
第5連隊が待ち構えるも
ナポレオンは単独で連帯の前に進み
結果、彼らは跪き「皇帝万歳!」と叫び
ナポレオンとともに進軍することを選ぶ。

ナポレオン・ボナパルト

《セントヘレナのナポレオン》

作者:フランソワ・ジョセフ・サンドマン
製作年:1820
所蔵:国立マルメゾン城美術館

ナポレオン最期の言葉は・・・

「フランス、軍の先頭に、ジョゼフィーヌ。。。」

と、その場に居合わせ
後にナポレオンの遺産を
相続したとされるモントロンは
1847年に出版された書籍の中で
元妻ジョゼフィーヌの名を遺しているが

側近であったベルトランをはじめ
多くの者が「軍の先頭に。」の
類の言葉を書き残しているようで
ジョゼフィーヌの名は遺されていない。

享年51歳。

そして、ジョゼフィーヌ最期の言葉は・・・

「ボナパルト、ローマ王、エルバ島。。。」だったそうな。

享年50歳。

以下を事前に読んでおくと良いかも。

ナポレオン発の「革命」が連鎖し、したたかな大英帝国が躍進

博覧強記な出口治明学長に
マジで日本の安全保障を任せたい。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

因みに西郷隆盛や吉田松陰など
幕末維新の志士たちが
こぞって愛読してたのがこの書。

那波列翁伝

『那波列翁伝』

自由、平等、友愛を旗印にした
ナポレオン・ボナパルトの存在は
ヒトラーやチャーチルだけでなく
日本の歴史にも大きく影響してたのだ。