雅・平安時代にどっぷり嵌る。

紫式部と藤原道長 (講談社現代新書)

紫式部と藤原道長


百人一首を覚え
あさきゆめみし』を読み
宇治の平等院に参拝し
光る君へ』を鑑賞しながら
どっぷり平安時代に嵌ってる。

我ながら懲りだすと止まらない(苦笑)

で、紫式部と藤原道長
あの時代にこのふたりが
どんだけ持ちつ持たれつの
関係であったかをふたりの日記
紫式部日記や御堂関白記を通して
詳しく解説したのが本書である。

何しろ平清盛や源頼朝
足利尊氏や織田信長をはじめ
若い時代の天下人であっても
深いところでの人間性なんて
研究者でさえ分かっていないが
事細かに日記を書いていた
紫式部や藤原道長については
肖像画すら残っていない人物なのに
性格まで丸わかりになるから面白い。

藤原道長の権力と欲望』に続き
著者はもちろん倉本一宏氏だ。

がしかし、、、

ボクの興味は既に別のところ
磯田先生と同じところに興味ありだ(笑)

『英雄たちの選択』
~藤原道長 平安最強の権力者の実像~の放送回にて
磯田先生が倉本先生にこんな質問をしていた。

「道長が三条天皇に毒を盛ってたという噂は本当?」

と、磯田先生は
かなり疑い深い感じで
質問していたのだが
倉本先生はそれを否定していた。

道長は硫化水銀が含まれていた
《金液丹》と言われる仙薬を
三条天皇に献上していたそうだが
道長自身もそれを飲んでいたので
毒を盛ってるという意識は
道長になかったはずだと否定していた。

がしかし、、、

本書を読んでみると
片目が見えなくなったり
片耳が聞こえなくなったり
挙句の果て41歳の若さで亡くなり
ホントに毒を盛られていたんでは?
と、思いたくなるような憐れな一生であった。

磯田先生の疑う気持ちもよ~く分かる。

とはいえ、この時代
そんな穢れたことをすれば
必ずや相手の怨霊やもののけに
憑りつかれると思うの世の常で
気が弱く信心深い道長なら
そう考えてもおかしくないはず。

というわけで
誰かが道長に忖度して
毒を盛ったということはあっても
道長自身が指示をしていたとは考えにくい。

でもね。

道長の三条天皇に対する扱いは
毒を盛るに等しかったかも。

道長にとって天皇は
ほぼほぼ操り人形だったし
天皇の命令など面と向かってガン無視だ。

否、道長だけではなく
藤原実資などごく一部を除く
多くの公卿が私腹を肥やすためか
三条天皇ではなく道長に意見を合わせる始末。

ま、いつの時代も政を司る人は
自分ファーストが世の常なのであった。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

哀 れ な ( 涙 )

さ ら ば 直 秀

#光る君へ