2024 名古屋の旅 vol.04 揚輝荘 南園。

揚輝荘

2024.01.14(日)15:00


ご存じないよね?

名古屋市の本山にある
知る人ぞ知る揚輝荘・聴松閣。

松坂屋の創業者
伊藤祐民(61)が
昭和初期に建設した
敷地約1万坪をほこる
巨大別荘地帯が揚輝荘。

その数ある建物のひとつが
今回紹介する南園にある聴松閣だ。

現在は南園の聴松閣と
次回に紹介する北園の2カ所に
分断されてしまっているが
昭和14年頃はこんなに広かったそうな。

揚輝荘ジオラマ

先にお邪魔した徳川園
1.36万坪なのでほぼ同じ規模。

北園には修学院離宮を参考にした
池泉回遊式庭園もあったりする。

とにかく庶民には夢でしかない
豪勢な別荘が一般公開されている。

名古屋に旅した際はぜひ寄ってみたい。

さ、聴松閣の中にまいろう。

揚輝荘

エントランスには虎の石像。

因みに入館料は大人300円
2006年より名古屋市の所有となっている。

揚輝荘

ホテルような玄関の土間は
丸太を輪切りにし年輪を見せた
例をみない意匠になっている!?

揚輝荘

揚輝荘

揚輝荘

揚輝荘

揚輝荘

もちろん部屋も廊下も階段も
どこもかしこも凝りまくっている。

伊藤祐民氏の美意識半端ない。

揚輝荘

他の建物に通ずる地下道まで!?

さて、1910年に松坂屋を創業した
伊藤祐民氏とはいったい何者だろう?

伊藤祐道 伊藤家家系図

実は松坂屋の前身となる伊藤屋を
江戸時代初めの1611年に創業したのは
織田信長の小姓を務めていた

伊藤蘭丸祐道。

蘭丸!?

とはいえ
本能寺の変で討ち死にした
誰もが知る森蘭丸(乱丸)のことではない。

実は信長が名付けた蘭丸は
同じく小姓だった伊藤蘭丸祐道
そして、その父・伊藤蘭丸祐広の
三人が存在していたというのだ。
※父・伊藤蘭丸祐広は1573年に戦死

ややこし!笑

で、伊藤蘭丸祐道は
信長より800石もの禄を受け
本能寺の変が起こったときは
幸か不幸か清州城に詰めており
主君の不幸に居合わせることができなかった。

そのため負い目を感じたか
その後は清州城下で浪人として過ごし
1611年48歳の時、名古屋本町に移り住み
小さな呉服小問物問屋を開業したという。

しかし、その4年後に祐道は
武士であることを捨てきれなかったのか
大坂夏の陣にて豊臣方について惜しくも戦死。

家業はいったん途絶えたものの
遺児であった祐基が伊藤屋を再興し
その300年後に15代目を継いだのが
松坂屋を創業した伊藤祐民というわけだ。

松坂屋に戦国の歴史あり。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□

コレは見たいなあ。

映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』

2024年7月26日(金) 公開