2024.01.14(日)9:30
およそ10年ぶりかな?
人生2度目となる徳川園に来訪。
どうしたわけか
初めて来園した際に
撮影したはずの画像が
google photoに1枚も残ってなく(涙)
ま、いっか。。。
この徳川園は元禄8年(1695年)
徳川御三家の筆頭であった
尾張藩二代藩主・徳川光友が
隠居所として移り住んだ
大曽根屋敷を起源としている。
現在の敷地は約7千坪であるが
当時の敷地はなんと約13万坪!?
ボクお気に入りの浜離宮の1.7倍だ。
尾張徳川家凄すぎである。
光友の没後、いったんこの地は
尾張藩家老職の成瀬、石河
渡邊の三家に譲られたそうであるが
明治22年(1889年)に
再び尾張徳川家の邸宅となっている。
その後、昭和6年(1931年)
『虎狩りの侯爵』で知られる
十九代当主・徳川義親が
邸宅と庭園を名古屋市に寄付し
1932年「徳川園」として公開
2004年、現在の池泉回遊式の
日本庭園としてリニューアルしたそうだ。
さ 、 い ざ 園 内 を ま い ろ う 。
黒門
総けやき造りの三間薬医門
大空襲による焼失を免れた数少ない遺構だ。
黒門の対面にある徳川美術館。
徳川美術館については日を改めて。
黒門口から入園。
観仙楼を左手にいきなりのこの景観!?
こせんきょう
大曽根の瀧
四睡庵
水琴窟
ええ音鳴らしてた。
龍仙湖
池泉回遊式日本庭園
さすが徳川御三家の庭園
瑞龍亭
光友の諡號「瑞龍院」から
名づけられた小さな茶室。
織田信秀の十一男で
織田信長の弟にあたる
織田有楽斎を始祖とし
尾張徳川家で重用された
尾州有楽流の流派に因み
有楽好みの様式が取り入れられてるそう。
有楽燈籠
最後にぜんざいが旨!
さ、次は徳川美術館いくべ。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
不適切にもほどがある!
第5話、爆笑の渦のあと
お義父さんの背広に泣かされた(号泣)