大関ヶ原展を1.5倍くらい楽しむ方法。

大関ヶ原展 daisekigaharaten_icon

なかなかアイコンがお洒落デス。


さて、時は慶長5年9月15日
(西暦1600年10月21日)
処は美濃国不破郡関ヶ原。

徳川家康を総大将とする東軍と
毛利輝元を総大将とし、
石田三成を中心とした西軍が
天下を真っ二つに分けて戦った
戦国時代最後の大決戦が
ご存じ関ヶ原の戦いデス。

で、その関ヶ原の戦いを
過去最高に掘り下げた展覧会が
ただ今大江戸博物館で開催中の

大関ヶ原展

連日芋の子を洗うような
混雑が続いてるわけですが、
目から鱗な展示品が盛り沢山で、
大河・歴史オタク、歴女なら
やっぱ鑑賞してみたいのが心情。

大関ヶ原展 daisekigaharaten

特に関ヶ原の戦いの戦況が
どのように推移していったのか、
どのタイミングで小早川秀秋が
西軍を裏切ったのかなどなど、
映像でしっかり把握することが
出来たりします。

でもでも、折角鑑賞するなら、
最大限に理解を深めたい!
と、仰る方の為に5倍、否、
謙虚に言って1.5倍楽しむ方法を
さくっと伝授する次第デス。

まずはこの絵をご覧ください。

関ヶ原合戦屏風 Sekigaharascreen

関ヶ原合戦図屏風(六曲一隻)
関ケ原町歴史民族資料館

入場するといきなりこんな
関ヶ原合戦屏風などの絵画が
これでもかと連続攻撃してきます。

がしかし、
小さな字で武将の名前は
ちょこちょこと書いてあるものの
絵がごちゃごちゃしてて
戦況がさっぱり分かりません。

そうなんです。

旗印や家紋が識別できないと
ウォーリーを探せ状態に
陥ってしまうのデス。

なので、事前に旗印と家紋を
しっかり記憶しておくことを
激しくお勧めいたします。

ってことで、
まずは旗印ですが、
コチラのサイトをご覧の上、
頭に叩き込んでおいて下さい。

そして家紋に関しては
コチラでご確認下さい。

如何でしょうか?
もう覚えられましたでしょうか?

それではテストいきますね。

まずは徳川家康率いる東軍より

徳川家康 福島正則 細川忠興  家紋 旗印 tokugawa-horz

徳川家康:三つ葉葵(みつばあおい)

福島正則: 福島沢瀉(ふくしまおもだか)

細川忠興:細川九曜(ほそかわくよう)

 

 

 

 

 

浅野幸長 池田輝政 黒田長政 家紋 旗印 asano_marunichigaitakanoha-640x640-horz

浅野幸長:丸に違い鷹の羽(まるにちがいたかのは)

池田輝政:備前蝶(びぜんちょう)

黒田長政:三つ藤巴(みつふじともえ)、黒田藤

 

 

 

 

 
加藤嘉明 田中吉政   藤堂高虎  家紋 旗印 kato_yoshiakira_Sagari_Fuji_of_Katou_Yosiaki_(No_background_and_Black_color_drawing)-horz

加藤嘉明:下がり藤(さがりふじ)

※当家の家紋も「下がり藤」でして、
他には「槍の又兵衛」で知られる
後藤又兵衛(基次)も同じデス。

田中吉政:左三つ巴(ひだりみつどもえ)

藤堂高虎:藤堂蔦(ふじどうつた)

 

 

 

 

 

山内一豊 本多忠勝 生駒一正 家紋 旗印 yamauchi-horz

山内一豊:丸に土佐柏(まるにとさかしわ)

※三菱の原型ともされています。

本多忠勝:丸に本文字(まるにほんもじ)

生駒一正:生駒車(いこまぐるま)、半車

 

 

 

 

 

井伊直政 筒井定次 京極高知  家紋 旗印 ii_hiraidutsu-horz

井伊直政:井筒(いづつ)

※井伊家の家紋は彦根橘ですが、
関ヶ原の戦いでは赤字に井筒の旗で
非常に目立った存在でした。

筒井定次:梅鉢(うめばち)

京極高知:四つ目結(よつめゆい)

 

 

 

 

 

 

 

続きましては石田三成率いる西軍

島津義弘 宇喜多秀家 石田三成  家紋 旗印 shimazu_marunijuji-640x640-horz

島津義弘:丸に十字、轡(くつわ)紋

宇喜多秀家:児文字(じもんじ)

石田三成:大一大万大吉

※「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味

 

 

 

 

 

 

小西行長 大谷吉継 安国寺恵瓊  家紋 旗印 konishi-horz

小西行長:祇園守(ぎおんまもり) 

大谷吉継:対い蝶(むかいちょう)

安国寺恵瓊:武田菱(たけだびし)

 

 

 

 

 

長宗我部盛親 長束正家 毛利秀元 chosokabe-horz

長宗我部盛親:七つ酢漿草(ななつかたばみ)

長束正家:花菱(はなびし)

毛利秀元:一文字に三つ星(いちもんじにみつぼし)

 

 

 

 

 

 

 

続きましては
元々西軍側についていたものの
東軍に寝返った武将たちです。

小早川秀秋 小川祐忠 脇坂安治 家紋 旗印 kobayakawa_marunichigaikama-640x640-horz

小早川秀秋:丸に違い鎌(まるにちがいかま)

※元々黒田長政が調略していたとされる。15,000の兵を率いて一進一退の戦況を伺っていたところ、徳川家康本隊から寝返り催促の威嚇射撃があり、意を決して東軍の藤堂・京極隊と激戦を繰り広げていた西軍の大谷吉継隊を横っ腹から攻撃。その後、小早川秀秋隊の陣に並んで待機していた小川祐忠、脇坂安治、赤座直保、朽木元綱ら計4,200の兵も雪崩をうつかのように東軍に寝返ってしまいます。

小川祐忠:立ち沢瀉(たちおもだか)

脇坂安治:輪違い(わちがい)

 

 

 

 

 

吉川広家 赤座直保  朽木元綱  家紋 旗印 kikkawa-horz

吉川広家:丸に三つ引(まるにみつひき)

赤座直保:丸に三つ目(まるにみつめ) 

朽木元綱:隅立て四つ目結(すみたてよつめゆい)

 

 

 

 

 

 

もう完璧ですね!

以上を総合しまして、
先ほどの関ヶ原合戦図屏風に
各武将の陣の位置を名前入りで
表記してみました。

関ヶ原合戦屏風 sekigaharascreen big

中央部下に何故だか豊臣家の家紋
五七桐(ごしちのきり)の旗印が
見えますが、これは福島正則が
秀吉から羽柴姓を賜っていた為、
利用したものと思われます。

なお、吉川広家、長宗我部盛親、
毛利秀元、安国寺恵瓊の軍は
家康軍の後方の南宮山に
陣をとっていた為、
この絵には描かれておりません。

また、吉川広家は西軍でありながら
東軍の黒田長政と内通していた為、
吉川軍の後方に陣を敷いていた
毛利軍(16,000人)の参戦を
ブロックする役割を担っていました。

 

最後に歴史にもしはありえませんが、そこをあえて許されるなら、35000もの兵を率いながら信州上田城の攻略に手間取って参戦できなかった徳川家康の嫡男 徳川秀忠が関ヶ原の一戦に間に合い、逆に大阪城に籠って参戦しなかった西軍総大将の毛利輝元、さらには会津にあった上杉景勝、信州上田の真田昌幸、大津城の京極高次を攻めていて参戦できなかった戦国最強の武将とも言われた立花宗茂が毛利輝元の参謀として総力戦で戦うことになれば、小早川秀秋らの裏切りもなかったでしょうし、もしや西軍が勝っていたら、さらに戦国時代は混とんとし長引いて、今の世の中も大きく変わっていたかもしれないですね。

東京会場:

日 程: 3月28日(土)~ 5月17日(日)
会 場: 東京都江戸東京博物館

当日券価格:
一 般:1,350円
大学生・専門学校生:1,080円
小学生・中学生・高校生・65歳以上:680円

京都会場:

日 程: 6月2日(火)~ 7月26日(日)
会 場: 京都文化博物館

福岡会場:

日 程: 8月7日(金)~10月4日(日)
会 場: 福岡市博物館(予定)

 

PS.

他にも豊臣秀吉の辞世の句「露と落ち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」の自筆の書も展示されてたりしますのでお見逃しなく。