人はどんなふうに死を迎えるのか、残された者はどう最期を看取るべきなのか。

komono 命の灯火が消える時。

命の灯火が消えるとき。


先般、コチラでひっそりご報告しました通り6月3日(水)田舎の母が他界しました。

その後、6月4日(木)に滞りなく葬儀も終えることができ、翌日6月5日(金)に東京へ戻って参りました。母の遺言により通夜は行わず、20名程度の小さな告別式だけ行ったんですが、参列者全員昔からよく知る近親者であったため、喪主として特に気を使うこともなく、参列者も全員心を込めて見送ることに集中できたかと思います。

さて、今回幸いにも妹と二人で、6月3日深夜に母の入院先の病院で最期を看取ることができたわけなんですが、何しろ人の死をこの目にすることも、人の最期を看取ることも初めての経験でしたし、ネットで調べてもあまり詳しく語られることはありませんでしたので、母がどのような反応をするのか、どんなふうに最期を迎えるのか、どうやって我々兄妹は母の死に向き合えばいいのかまったく予備知識もなかった為、当日は意識を失くしながらも、呼吸でひたすら苦しむ母の一挙手一投足にあたふたする場面ばかりが続きました。

なので、以下どのように人は死という最期を迎えるのか、どうやって看取れば故人が安らかに旅立てるのか、今回の経験を踏まえ個人的に感じたことを書き記したいと思います。なお、もちろんすべての故人がそうではありませんが、あとでいろいろ調べてみましても、ガンという大病を患っていたとは言え、今回の母の病死はごく一般的な最期の迎え方であったようです。

2013年3月
大腸がん(直腸)ステージⅣ発覚。3度の手術。

2014年8月
直腸接合部分にて腸閉塞発症、6時間以上に及ぶ大手術。

2015年1月~
衰弱により輸血・点滴の為、入退院を繰り返す。

2015年4月22日
3度目の入院。歩行困難なほどに衰弱。

2015年6月1日
意識低下。
指や足を抓っても痛みを感じない、反応しない状態。呼吸は下顎呼吸(かがくこきゅう)となり、胸呼吸で鼻からではなく、口を半開きにして、下あごを使っての呼吸方式に変わります。苦しさはないようです。この時点で看護婦さん的に死期が近いと悟り、遠方の僕は呼び出しを受けました。

2015年6月2日
昼過ぎに東京から実家近くの病院に駆けつけると既に呼吸が下顎呼吸からチェーンストークス呼吸に変わっていました。このチェーンストークス呼吸とは、まさに死の間際に現れると言われる呼吸方式で、所謂「容態悪化」もこの呼吸方式に変わることを意味しているんじゃないかと思います。30秒から2分程度の間隔で浅い呼吸と深い呼吸が交互に発症し、深い呼吸の時には「悪魔に首でも絞められてるんじゃないか」「水の中で溺れてるじゃないか」と思うほど息が苦しそうな形相となり、まさに「死ぬほどの苦しみ」が見て取れます。通常はチェーンストークス呼吸が現れると数時間内で死を迎えるそうなんですが、故人に体力が残っている場合、2、3日続くこともあるそうです。因みに母は約13時間、発作回数は100回以上を数えるほど苦しみ抜きました。もちろん故人ほどではありませんが、看取るほうも相当な体力を必要とします。

果たして故人はこの意識不明の中で、苦痛を感じているのか、それとも感じていないのかなんですが、医師曰く、恐らく何も感じていないだろうということなんですが、声掛けしているとなんとなく反応しているふしがあちこちに見受けられるような気がして、実際にはこの死ぬほどの苦痛を感じているんじゃないかと個人的には思った次第です。妹も同様に感じていたそうです。

その為、このチェーンストークス呼吸があまり長く続いていると、さすがに看取る家族も精神的に耐えられず、モルヒネを打ってくださいと医師にお願いしたくなります。が、この段階でモルヒネをうつは直ちに死につながる可能性が高く、日本においては過去の判例上所定の条件さえ整っていれば医師が殺人罪で罰せられることはないようですが、積極的安楽死が法的に認められるのか、認められないのか極めてあやふやなことから、現在ではこの状態でモルヒネを打つことは難しいようです。昔は家族の了承のもとでうつことがあったそうですが。

そこで、もし仮に自分が同じような最期を迎えるようであれば、迷惑なのは百も承知で出来る限り多くの近親者や友人たちに集まってもらい、交代交替で励まされながら絶命したいなと(笑)もしそれが出来ないんなら、海外で独り安楽死を選びたいくらいデス。なお、もちろん近親者や友人で僕に看取って欲しいという要望があれば、当然馳せ参じて最期の最期まで看取ってあげたいと思っています。

ま、そんなことを感じさせてくれた母の壮絶な最期でした。