水谷雅子 スタイルブック。

masako_mizutani 水谷雅子 スタイルブック

恐るべし47歳。


昨年9月に開催された
国民的美魔女コンテストにて
沢山の美魔女を拝見したが、

この水谷雅子さんは
ちと別格のような気がする。

さすがに18歳は
言い過ぎと思うが(苦笑)、
森高千里、宇徳敬子
そして聖子ちゃんらとともに
不死身の美女でいて欲しいぞ。

PS.

さて、本日6月4日と言えば、
今から401年前の1615年、
かの「大阪夏の陣」にて
豊臣家が滅亡した日として
日本史に刻み込まれている。

大坂夏の陣図屏風(黒田屏風)右隻(大阪城天守閣所蔵) The_Siege_of_Osaka_Castle

1615年6月3日、
大阪城を背にした
豊臣軍約55,000を
徳川軍約165,000が包囲し、

序盤こそ「真田丸」主人公
赤揃えの真田信繁隊が奮闘し、
家康の馬印をなぎ倒し、
あと一歩のところまで
追い詰めたりもしたらしいが、

数の力で圧倒する
徳川軍に反撃されると、
残る豊臣軍は大阪城本丸内に
立て籠もるしかなかった。

そして、

その日のうちに
内通者が火をかけ、
大阪城天守閣は大炎上。

翌日、城から脱出した
豊臣秀頼の正室であり、
徳川秀忠の娘でもある千姫が
秀頼と淀君の助命嘆願を
申し出るも結局叶わず、

秀頼と淀君は大阪城本丸の
北側に位置していた山里曲輪で
自ら命果てるのであった。

その時、秀頼は21歳、
淀君は46歳であったという。

因みに真田信繁は
諸説あるものの
6月3日、家康を追い詰めた後
安居神社の境内で
力尽きていたところを
松平忠直隊鉄砲組頭の
西尾宗次に発見され、

「わしの首を手柄にされよ」

との最後の言葉を残して
潔く討ち取られたとされている。
信繁その時48歳。

大河ドラマ「真田丸」最終回
となるはずの1615年の6月4日、
三谷幸喜がどんな最終回を
演出するのか今から楽しみだ。