HERMESの歴史

HERMES(エルメス)


創業者:Thierry Hermes ティエリ・エルメス(1801年 – 1878年)
創業年:1837年
創業地:フランス パリ

エルメス (Hermes) は、フランスのエルメス・インターナショナル社 (Hermes International, S.A.) が展開するファッションブランドである。エルメス社はもともと馬具工房として創業したが、自動車の発展による馬車の衰退を予見し、鞄や財布などの皮革製品に事業の軸足を移して、高級ブランドの地位を確立した稀なファッションブランドである。

現在でも、馬具工房に由来するデュックとタイガーがロゴに描かれている。デュックは四輪馬車で、タイガーは従者のこと。主人が描かれていないのは「エルメスは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様ご自身です」という意味が込められているためである。

左上:オータクロア 右上:ボリード
左下:ケリーバッグ 右下:バーキン

■エルメスの歴史

エルメス社の母体になったのは、ティエリ・エルメス(Thierry Hermes、1801年 – 1878年)が1837年にパリに開いた馬具工房である。当時の主な移動手段は自動車ではなく馬車であったため、馬車工房自体は当時一般的な存在であったが、1867年にパリ万博の馬具部門銀賞を授与することで、ティエリ・エルメスの馬車工房はナポレオン3世などのセレブなどを顧客にもつことになり発展を遂げる。

1878年にティエリ・エルメスが死去した後、息子のシャルル・エミール・エルメスが2代目として跡を継ぐと、今までの下請け業から直接顧客へ販売することをスタートし、合わせてフォーブル・サントノーレ24番地へ工房と店を移転する。これが現在のエルメス本店となっている。

そして、ティエリの孫にあたりエルメスを最も成功に導いた3代目のエミール=モーリス・エルメス(Emile-Maurice Hermes、1871年 – 1951年)が若くして事業に携わると、彼は当時自動車の普及により馬車の衰退を予測し、事業の多角化に着手する。その結果1892年には、馬具製作の技術を基にエルメス最初のバッグ、サック・オータクロア(sac haut-a-croire、後のオータクロア)を発表する。同時に1900年、彼はロシアのサンクト・ペテルブルグに赴きロシア皇帝ニコライ2世へ馬具と鞄の売り込みに成功し、世界的にも知名度を上げていく。

1920年ハンドバッグ部門をスタートすると縫い目を表に出すクージュ・セリエという鞍縫いの製法を活かして作られた革のバッグが爆発的な人気を呼ぶ。また初めてファスナーをバッグに用いたのもエルメスで、エルメスのバッグを見たシャネルがスカートにファスナーを使い、これが契機となって服にファスナーが使われるようになったとされる。1923年高級車ブカッティ用のバッグとして、丸いラインが特徴的な大型のバッグ「ブカッティ」(現在の「ボリード」)、1927年に腕時計コレクション、1935年「サック・ア・クロア(sac-a-croire)」というオータクロアのハンドバッグ、1937年には「カレ・モムニバスゲームと白い貴婦人」をタイトルにしたスカーフ・コレクションを発表する。1947年にジャン・ゲラン香水部門設立。1949年紳士バッグ「サック・ア・デペッシュ」、シルクツイルのネクタイを発表し、次々と事業分野を広げ、それらの製品のデザイン、製造、販売までのすべてを手がけるまでに成長する。

1951年エミールが死去すると4代目社長として3代目エミールの次女ジャクリーヌの婿だったロベール・デュマ・エルメスが就任。ロベールはスカーフの「カレ・エルメス」に一枚一枚にストーリーを作るほどスカーフ販売に力を注ぎ売上を伸ばす。1956年にはモナコ王妃グレース・ケリーが「サック・ア・クロア」で妊娠していたお腹を隠していたことから、「サック・ア・クロア」を「ケリーバッグ」と呼ぶようになる。その他1961年に若者をターゲットにした香水部門が独立し、「カレーシュ」を発売。1974年「カレーシュ」より若い女性向けの香水「アマゾン」発売。1976年ジョンロブのパリ支店閉店に伴い、技術の高さを評価したエルメスが、支店を職人共々エルメス本店内に迎え入れる。以後、ジョン・ロブ・パリとしてイギリス以外の国で紳士靴を展開している。

1978年、ロベール・デュマ・エルメスの息子ジャン・ルイ・デュマが5代目に就任すると、時計分野にも参入し、1979年腕時計「アルソー」を発売する。そして1984年にバーキン (Birkin)・バッグが誕生する。ケリーと同様の人気を誇るバーキンの名は、第5代社長のジャン=ルイ・デュマ=エルメスが、飛行機の機内でたまたまイギリス出身の女性歌手ジェーン・バーキンと隣合わせになり、彼女がボロボロの籐の籠に何でも詰め込んでいるのを見て、整理せずに何でも入れられるバッグをプレゼントさせてほしいと申し出たエピソードに由来する。なおバーキンの原型は上述のオータクロアであるが、今やオータクロアをはるかに凌ぐ人気になっている。このように、エルメスのバッグには発注者ないし最初の所有者の名が付いたモデルが多く存在する。比較的時代が新しいものでは、スーパーモデルのエル・マクファーソンが発注したエル(巾着型で、底の部分に化粧品を入れるための外から開閉可能な引きだしが付いている)、日本人男性が発注した大型旅行鞄マレット・タナカがある。

1980年代から1990年代にかけエルメス社はシャツや帽子を発注していた会社を次々と買収する。但し、リシュモン(カルティエの母体)やLVMH(ルイ・ヴィトンの母体)の買収戦略と異なり、職人技の維持を第一目標にしてのものであり、そのため買収対象は比較的小規模の会社に止まっている。余談としてエルメス社が1997年に初めて作った社史は漫画形式で、日本の漫画家竹宮惠子に依頼して制作された(『エルメスの道 LE CHEMIN D’HERMES』、日本での初刊は中央公論社)。

1988年エルメスのメンズ部門のディレクターにヴェロニク・ニシャニアンが就任し、現在もメンズプレタポルテはヴェロニク・ニシャニアンがデザインしている。
レディースのプレタポルテは、これまでエリック・ベルジェールやクロード・ブルエ(本家フランス版「マリ・クレール」の元編集長)などが中心にデザインしてきたが、1998F/Wジーズンからジャン=ポール・ゴルチエのアトリエ出身デザイナーであったマルタン・マルジェラが担当。マルジェラは2004S/Sまでデザイナーを続け、レザー、スエード、カシミアなど高級素材を使用し、エレガントで高級感を保ちつつ、シンプルでゆったりとしたシルエットを展開し、マルジェラのコレクションは高く評価された。

2004年F/Wジーズンからマルタン・マルジェラの後継として、ジャン=ポール・ゴルチエがデザイナーに就任。就任後のパリ・コレクションではエルメスの伝統である馬具・皮革製品を意識し、伝統に配慮しつつ、オレンジ・黒を中心とした鋭角的でかつブランドの風格を意識したデザインを発表する。

■日本におけるエルメス

日本初のエルメス直営店は、1978年に東京・丸の内に開店した。エルメスの日本法人であるエルメスジャポン株式会社は1983年にエルメス・インターナショナルと西武百貨店との合弁で設立されたが、後にエルメス・インターナショナルの完全子会社となる。エルメスの出店は西武系に限られず、大手百貨店の主要店には比較的多く出店している。

2001年6月28日には、日本での旗艦店「メゾンエルメス (Maison Hermes)」を東京・銀座の晴海通り沿いにオープンしている。外壁に 450 mm 角のガラスブロック 13,000 枚を張りめぐらした11階建てのビルで、レンゾ・ピアノの設計による。ブティックのほか、製品の修理工房、ギャラリー、パリ以外では初となるエルメス社常設ミュージアム、そしてエルメスジャポンの本社が入居する。

1999年に発表された THE ALFEE のアルバム『orb』の通常盤のディスクジャケットは、エルメスの現社長である5代目ジャン・ルイ・デュマとプライベートでも交友のあった高見沢俊彦からの依頼で、同社がデザインしたイラストが使用された。高見沢のトレードマークでもある “エンジェルギター” や、THE ALFEE 25周年を表す “25Ans” 等のロゴが描かれたものとなっており、後にそのデザインのカレ(スカーフ)が関係者やファンクラブ入会者などを対象にごく少数が限定で発売された。フランス革命をテーマとした曲「Nouvelle Vague」をエルメスの関係者がいたく気に入り、彼らのアルバムのアートワークに起用することを認めたという。同アルバム収録の「orb」という楽曲は、そのアートワークのイメージを楽曲化してエルメスに捧げられており、後に同アートワークをあしらったESP社特製のギターをエルメス本社に贈呈している。このギターは後に同社の “Dream Display” に展示され、現地のマスコミからも「エルメスの新しい挑戦」として紹介され、注目を浴びることとなった。なお、エルメス社が音楽家の作品などにアートワークを提供するのはこれが初めてのことであった。

H BOX(横浜トリエンナーレ2008)2007年には、ビデオ・アート作品のための発表の場と機能的な上映環境の提供として『H BOX』と名付けた移動式の上映室を企画・制作している。旅行鞄のようなアルミニウム合金製の外装はディディエ・フィウザ・ファウスティーノの設計で、内部にはスクリーンと10席の観賞席が設置され、複数のアーティストによるビデオ作品が上映された。2007年11月のお披露目から2008年末までに、パリのポンピドゥー・センター、スペイン・レオンのカスティーリャ・レオン現代美術館 (MUSAC)、ルクセンブルクのグラン=デュック・ジャン近代美術館 (MUDAM)、ロンドンのテート・モダン、横浜トリエンナーレ2008(横浜港大さん橋国際客船ターミナルに設置)を巡回している。

日本でのエルメスは女性の支持が高いが、バッグなどでは男性からの支持も高く人気もあり、特に1998年に発表されたフールトゥ (fourre-tout) やエールライン(絶版)は価格も手ごろなために定番バッグとなっている。またバッグ以外にも、ベルト、革手袋、ガムケース、笛、櫛、トランプ、マネークリップ、ピルケース、扇子、犬用首輪や腕時計など様々な生活小物も厳選された素材でパリの工房で製造されたものを全世界の主要都市にある直営店で販売されている。ただし価格はベルト類はバックルを含めて約8万円から、手袋も約6万円からといずれも一般のものに比べてはるかに高価である。

エルメスのバッグは最初から最後まで一人の職人によって作られており、ケリーやバーキンの場合には、クロア(ベルト部分)の裏側に製造年・アトリエ名・職人No.が刻み込まれていて、もし修理することになったら実際に製作した職人の元にバッグが送られることになっている。