2025.12.2 tue 15:00
安土城跡、旧総見寺跡
安土城考古博物館を巡ったあと
滋賀の旅、最後に訪問した場所が・・・
安土城天主信長の館
安土城天主閣
最上階(5階と6階)の
再現したお部屋が見れるとこネ。
安土城5階の八角形に合わせてか
2階と3階が八角形になってる建物だ。
安土城天主閣想像模型
正確な安土城の形は分かっておらず
専門家が想像したものでしかない。
《安土南蛮図屏風》
制作:藤井万理子
実は1582年に織田信長は
懇意にしていたイエズス会の宣教師
アレッサンドロ・ヴァリニャーノが帰国する際
天正遣欧使節(伊東マンショら4人の少年たち)を同行させ
狩野永徳が描いたとされる安土城の豪華な屏風を
ときのローマ教皇グレゴリウス13世宛てに贈ったとされる。
その屏風さえヨーロッのどこかで見つかれば
正確な安土城の姿が確認できるはずなんだけど。。。
因みに滋賀県がバチカンに専門家を派遣し
教皇庁の図書室や秘蔵庫を何度も調査している。
そして、献上された際の目録や
当時の教皇が安土城の屏風を気に入って
「教皇の居館(ガレリア・デッレ・カルト・グラフィケ)」に
飾らせたという文書記録まで確認されている。
がしかし、、、
実物を発見するには至っていない。
当時の習慣として、新しい教皇が即位した際
前の教皇の遺品を有力貴族(ボルゲーゼ家やメディチ家など)に
贈与されたり、売却されたりすることがあったそうで
どこかでひょっこり見つかることを祈るしかない。
但し、バチカンでの調査の過程で
屏風の一部を描き写したと思われる
学者のフィリップス・ファン・ウィンゲの木版画や
当時の宣教師が残したメモなどが見つかり
それらをもとに安土城の本当の姿が今も研究されている。
復元された八角形の5階の部屋
狩野永徳とその長男・光信による
絢爛豪華な障壁画の想像図。
上を見上げると金色の6階が!?
金閣寺の3階部分みないな(驚)
もちろんこの金ぴかな障壁画も
狩野永徳とその長男・光信筆と想像される。
住 み た い ( 笑 )
安土城にて明智光秀が徳川家康を饗宴した復元料理
献立の資料が残っているので
おおよそ復元可能だったようだ。
当時は1日2食だったとはいえ多すぎとちゃうかしら(苦笑)
因みに信長がこの饗宴した料理に不服で
明智光秀を足蹴りにしたと伝わっているが
一次資料として信憑性の高い太田牛一の《信長公記》には・・・
『光秀は、京都・堺で珍しい食料を調達し、大変に気を張って接待した。』
と、褒められてはいるものの
饗応役の失態で信長に折檻されたなどという記述は
どこにも見当たらないので、出典元の川角太閤記はおそらくガセネタなんだろうね。
以上、2025秋 滋賀の旅 了。
□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□
安土城考古博物館から信長の館に向かう途中、、、
紅葉の山の麓に一軒の民家を発見。
旧宮地家住宅という農家を再現した住居だそう。
次回は忘れずに室内も見学しなきゃだわ(汗)














