龍馬伝と言えばの旧岩崎邸庭園。

伯爵気分に浸れる場所と言えばの・・・


さて、上野の不忍池近くにある冒頭画像の旧岩崎邸庭園に初めてお邪魔してきた。

2010年大河ドラマ「龍馬伝」の最終回にて、香川照之扮する三菱創業者・岩崎弥太郎の豪邸として登場したと洋館と言えば思い出す方も多いだろう。

但し、確かに岩崎弥太郎は旧舞鶴藩主・牧野弼成から同地を買い取り、岩崎家の本邸として使用していたものの、この豪華な洋館は弥太郎の死後となる1896年(明治29年)に、三菱の第3代社長となった弥太郎の長男・岩崎久弥が建てたものだそうだ。

設計したのは英国人建築家ジョサイア・コンドル。かの鹿鳴館(1883年竣工)も設計した人物なので、今は存在しない鹿鳴館の雰囲気も味わえることになるだろう。

敷地を囲う袖塀には三菱の由来にもなった岩崎家の家紋「重ね三階菱」が堂々と刻まれている。

なお、この「重ね三階菱」と土佐藩主山内家の「三葉柏紋」を合わせて三菱のシンボル「スリーダイヤ」になったそうだ。

因みに入園料は400円。なんどでも訪れたくなること間違いナシだ。

正玄関は巨大な洋館のわりに意外とこじんまりとしている。

とは言っても、普通の一軒家の玄関と比べればもちろん巨大だ。

洋館東側。

正玄関のある北側とは雰囲気が大きく異なる。

洋館南側。

南の強い日差しを避けるためのコロニアル様式のベランダが特徴的だ。

巨大庭園から眺めた洋館の全景は贅沢の極みだ。

さらに洋館の左側には和館もある。

岡本春道の設計による和館。棟梁は大河喜十郎。

和館の広間には近代日本画の生みの親こと橋本雅邦が描いた四季の障壁画が残されているので、ぜひ目を凝らして眺めて欲しい。

この和館、往時は550坪という途方もない大きさの書院造の建物だったそうだが、1953年(昭和28年)に財産税の物納として国有財産化され、その後は法務省管轄の不動産となり、裁判所の書記官研修所としてしばらく利用されていたとのこと。

しかし、研修生が増えたことで、収容困難となり、和館のほとんどを取り壊してビルに建て替えてしまったそうだ。建築家の村松貞次郎氏によると、和館のほうが洋館よりも文化財的価値が高かったというほどだから取り壊されたのは残念でならない。

最後は撞球室、いわゆるビリヤード場。

因みにこの建物と洋館は地下通路で今も繋がっている。

以上、往時は15000坪の敷地に20棟の建物が建っていたそうだが、現存するのは洋館、撞球室、和館の3棟のみ。

しかし、それでも十分すぎるほど伯爵気分を味わえると思うので、上野近辺に訪問する機会があればぜひ参観されてはどうだろうか。

なお、三菱創業者の岩崎弥太郎はこの地の他、回遊式庭園で知られる六義園や清澄庭園も買い取っていたというから驚くしかない。

 

□□□ 東雲乃呟 □□□□□□□□□□

岩崎弥太郎が何故これほどの巨額の資産を保有できたのか?もちろんそれにはタネがあります。

明治始め、明治政府が版籍奉還(1969年)を各藩に命じ、続いて廃藩置県(1871年)、地租改正(1873年)に向かう中、旧藩が抱えていた「大名貸し」などの巨額債務が帳消され、大手の両替商の没落が相次いだことから、各藩で発行されていた「藩札」の価値が暴落してしまいます。

そこへ明治政府の高官だった後藤象二郎(土佐藩士)が、藩札を明治政府が買い取ることを弥太郎に耳打ちし、弥太郎はすぐさま10万両の資金を掻き集め、二束三文の値段で藩札を買い占め、予定通り明治政府に高値で藩札を買い取らせたことで莫大な財産を得たそうデス。今でいう完全なインサイダー取引ですね(苦笑)

また、漫画家・黒鉄ヒロシによると、岩崎弥太郎が書いていた「弥太郎日記」に、坂本龍馬暗殺の前後10日ほどの記述がすっぽり抜け落ちてるそうなんデス。で、その抜けた部分を実は三菱が密かに保管しているのでは?というのデス。なかなかのミステリーですね。その件についてはコチラをどうぞ参照ください。